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上写真は三十一年前のサッカ-マガジンでもこの試合の頁は保存してある。価格は430円なので2.5ユ-ロのガゼッタ、バラデンのアメリカンペールエールもほぼ同額。そのマッサーロが翌年34歳で清水エスパルスに加入。怪我に泣かされて引退を余儀なくされたが二桁ゴールは記録している。
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清水加入の新ストライカ-は、マッサーロを越えられるか
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昨年12月スパルタク·ヴァルナがアフメド·アフメドフ:Ahmed Ahmedov【1995年3月4日生】の清水移籍を発表したのには驚いた。母国以外となるとアゼルバイジャンのバクーでプレーをしただけ。二か月前のUEFAネーションズリーグでアントフと共にプレーする姿をフレームに収めている。何の予備知識もなくプレー時間は12分と短かったが182cmの身長はスラブ系の巨漢が並ぶ中で特別高いわけでもなくスピードも標準だろうか、少なくともフィジカルで勝負するタイプではない。但し足元の技術は高そうで柔らかく巧みなボール裁きは、その変わった名前と併せて記憶に残った。今のところJリーグでは途中出場のみ。年齢は今月三十の大台にのり、けして若くはないがマッサ-ロよりは期待しても良いはず。
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ロ-マがダ・ビンチ空港なのにミラノはベルルスコーニ空港
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マルペンサ空港の名称を変更するというイタリア政府が発表。この改名運動を推進したのはACミラン·サポーターで知られるマッテオ·サルヴィーニ: Matteo Salvini【1973年3月9日生】大臣。これに対して嚙みついたのはジュゼッペ·サーラ:Giuseppe Sala【1958年5月28日生】市長とミラノ大都市圏の中道左派自治体。九月に控訴を起こしたがロンバルディア州行政裁判所は棄却判決を下した。それにしても首都ローマにはルネサンス期の天才科学者にして芸術家、ジェノバは大航海時代の探検家、ピサは地球が太陽の周りをまわっていることを実証したあの方。今思えばガリレオ·ガリレイという名前もアフメド·アフメドフに負けず劣らすのユニークな名前ではある。これらの日本の小学生でも知ってそうな歴史上の偉人達の名前を空港に拝借するのが大好きなお国柄。そこにまさかベルルスコーニを並べるとは。
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元プロフットボーラーで一国の大統領に就任したのはジョージ· ウェア以外思い浮かばない。元ACミランの副会長のジャンニ·リベラ:Gianni Rivera【1943年8月18日生】も’09年まで欧州議会議員職を務めた。実はベルルスコーニのフォルツァ·イタリア党は、’16年6月5日のミラノ市議会選挙候補者にマッサーロを擁立している。結果は落選しているのだが、四月の段階でガゼッタ·デッロ·スポルト紙はベルルスコーニがマッサーロに出馬を促したと報じている。マッサーロはモンツァ出身、1979-80シーズンにプロのデビューを果たしたのもACモンツァだった。
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勝利の女神になれず 故人を偲んでも変わらない厳しい現実
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年明け第19節のカリアリ戦ブリアンテオ·スタジオのVIPスタンドで観戦するマルタ·ファシーナ議員の姿が。34歳になった今も故人が愛した美貌は変わらず。プレシーズンのミラン戦しか顔を出さないと思っていただけに些か感動した。しかしこの日の敗戦で五連敗。最下位に沈み降格の危機に晒される現在のモンツァを憂い、「夢枕に現れたパートナーに促されスタジアムに足を運んだ」と寂し気な笑みを浮かべてのコメント。その後計29試合を消化した現在も最下位から抜け出せず、次節は再び敵地でのカリアリ戦、続いてコモとのデルビーを迎える眼前の現実は余りにも峻厳でしかない。〖第十二話了〗
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