九十周年の節目の年、七月七日にユニフォームのメインスポンサーはドイツの掃除機家電メーカーVorwerk社で決定。セリエAの試合ではfollettoが胸に、但しセーブ·ザ·チルドレンへの支援も継続し背中に。クマン·ババカル:Khouma Babacar【1993年3月17日生】が背負う30番の下で控えめにプリントされている。
今回は黒のレザージャケットにブルガリのサングラスを外してもらった美女のカバー写真。ルーヴル美術館の入り口前で撮影した女性はロシアからの観光客。このイタリアを代表するジュエリーブランドも2009年からセーブ·ザ·チルドレンをサポートしておりローマ近郊だけではなく、’16年には南米ボリビアでのプログラムを起ち上げている。
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あの日あの時は■2016年10月25日セリエA第十節AFCフィオレンティーナ対FCクロトーネ。
大雨でボールが転がらないのを審判が確認。ピッチサイドで撮影などとても無理。スタンドのプレス席から時折ファインダーを除く程度に。長い中断で中止と思われた試合は再開されると水浸しのピッチでチプリアン·タタルサヌ:Ciprian Tătărușanu【1986年2月9日生】が痛恨のファンブル。
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先制点を許したとはいえ、この環境でルーマニア人のゴールキーパーを責めるのはあまりに惨い。しかし、最下位のクロトーネが今季初勝利で勝ち点三を獲得するかと思えた展開から最後に劇的なドラマが。右側コーナーにセットされたボ-ル。勝負所とプレス席からもカメラを構えた。すると右から流れたグラウンダーのボールを右足で流し込んだのはセンターバックのダヴィデ·アストーリ:Davide Astori【1987年1月7日生-2018年3月4日没】。移籍後初得点で貴重な勝ち点一をもたらした。アストーリは娘ヴィットーリアが生まれたばかり、公私共に充実していた’16年の秋。
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あの日あの時で実際に取材した試合を選んだのは第三十話にして初めて。後に主将を務めたイタリア代表にも定着したこの日の決勝ゴーラーは二千十八年三月四日ウディネーゼ戦のために宿泊していた遠征先のホテルで就寝中に急死してしまった。 死因は心臓発作/心血管虚脱と発表されたがほんの数時間前はチームメイトと談笑していたらしい。セリエAは週末に予定されていたすべての試合の一括延期の措置を講じた。選手やクラブスタッフの動揺が落ち着く頃を見計らいウディネーゼとフィオレンティーナの試合が開催されたのは、ほぼ一か月後だったと記憶する。
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強い絆で結ばれた街と人とクラブと美術館
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2007年東京国立博物館での「レオナルド·ダ·ヴィンチー天才の実像。」展の目玉としてダ·ヴィンチ作《受胎告知》が日本に貸し出された。イタリアではアントニオ·ナタリーニ:Antonio Natali 【1951年生】館長が日本への移送に反対していると一部のメディアが報じ、“悪者”扱いされた事に慨然としてインタビューをする流れに。今思えば全国の書店に並ぶ美術専門誌での連載第一弾がこの記事となる。メディチ家がコレクションをトスカーナ公国に寄贈するにあたり、フィレンツェ市民の宝であってフィレンツェ郊外から持ち出さないと固く約束している。横紙破りを咎められるべき、恥を知るのは歴史に疎い日本人のほうである。