昨季からJ1リーグの名古屋グランパスを率いる西野朗監督が苦戦しています。今季ここまでのJ1リーグでは、4戦して2分2敗。リーグで唯一の未勝利チームとなってしまっています。もちろん、一昨年までドラガン・ストイコビッチ監督が率いていた時代とは打って変わり、もう大型補強はできません。
3年連続で赤字となればクラブライセンス制度によってJ1ライセンス剥奪の可能性があったためというクラブの経営・運営上の問題があります。その上で昨年はJ1リーグで10位という結果。若手の台頭や様々な選手のコンバートでやり繰りした中で、“ピクシー”のラストイヤーよりも順位で勝点でも1つずつ上がった事に対しては、西野監督の手腕に対する評価は及第点以上になると思います。
西野監督と言えば、巷では「弱小チームだったガンバ大阪を継続してリーグのトップ3に入る強豪チームに仕立て上げた監督」という評価が一般的です。しかし、ガンバ大阪を応援してきた僕としては、早野宏史(現解説者)監督時代からの継続した若手選手の積極起用を引き継いでの就任でしたし、早野政権時もリーグではトップ5くらいの成績は出せていたので、西野監督の就任期間である10年間でリーグ優勝は1度という結果では前述のような評価はあまりしっくりは来ないのです。
それでも、僕は西野監督はガンバ大阪の指揮官として、大きなタイトルを残してくれたと思います。その理由を当コラムで簡単ながら整理し、西野監督の長所と短所を説きたいと思います。
トップ3に入る強豪へ仕立て上げたチーム作り以上の大きなタイトル
まずは、ガンバのJリーグ創設期からの各大会の成績を表にしましたのでご覧ください。
(尚、リーグ戦に関しては、チーム数が異なる年数があるのと、2ステージ制の年度があります。2ステージ制のシーズンは総合順位で掲載しております。)
年度 | Jリーグ | ナビスコ | 天皇杯 | ACL | 監督 |
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1993 | 7位 | ベスト4 | ベスト64 | 不参加 | 釜本邦茂 |
1994 | 10位 | ベスト4 | ベスト4 | 不参加 | 釜本邦茂 |
1995 | 14位 | 未開催 | ベスト4 | 不参加 | ジークフリート・ヘルト |
1996 | 12位 | 予選敗退 | ベスト4 | 不参加 | ヨゼップ・クゼ |
1997 | 4位 | 予選敗退 | ベスト4 | 不参加 | ヨゼップ・クゼ |
1998 | 15位 | 予選敗退 | ベスト32 | 不参加 | コンシリア☛フレデリク・アントネッティ |
1999 | 11位 | 2回戦敗退 | ベスト16 | 不参加 | フレデリク・アントネッティ☛早野宏史 |
2000 | 6位 | 2回戦敗退 | ベスト4 | 不参加 | 早野宏史 |
2001 | 7位 | 2回戦敗退 | ベスト8 | 不参加 | 早野宏史☛竹本一彦 |
2002 | 3位 | ベスト4 | ベスト16 | 不参加 | 西野朗 |
2003 | 10位 | ベスト8 | ベスト16 | 不参加 | 西野朗 |
2004 | 3位 | ベスト8 | ベスト4 | 不参加 | 西野朗 |
2005 | 優勝 | 準優勝 | ベスト8 | 不参加 | 西野朗 |
2006 | 3位 | ベスト8 | 準優勝 | GL敗退 | 西野朗 |
2007 | 3位 | 優勝 | ベスト4 | 不参加 | 西野朗 |
2008 | 8位 | ベスト4 | 優勝 | 優勝 | 西野朗 |
2009 | 3位 | ベスト8 | 優勝 | ベスト16 | 西野朗 |
2010 | 2位 | ベスト8 | ベスト4 | ベスト16 | 西野朗 |
2011 | 3位 | ベスト4 | ベスト32 | ベスト16 | 西野朗 |
2012 | 17位(降格) | ベスト8 | ベスト16 | GL敗退 | セホーン&呂比須ワグナー☛松波正信 |
2013 | 優勝(J2) | 不参加 | ベスト32 | 不参加 | 長谷川健太 |
2014 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 不参加 | 長谷川健太 |