頻繁にマッチレポートを書いてる身として、筆者のサッカー観戦術を伝えて行こうという試み。第2回となる今回は、DFのビルドアップ技術について。なぜ最近はセンターバック(以下CB)に「ビルドアップ(組み立て)の精度や足元の技術が必要」となったのか?
という点について、システムや戦術の時代の流れと合わせて検証した。
サイドバックの攻撃参加が普通になった理由
まず、なぜサイドバック(以下SB)を含むDFラインからボールを繋ぐ技術が必要になったか?という問いについては、やはりサッカーという競技が常に研究されて進化したがゆえだろう。より最終ラインから最前線までの距離が短くなり、コンパクトになった。つまりMFにプレー選択を考える時間やスペースがなくなってきた事が最大の理由だ。
そしてDFの選手の攻撃への関与については、最前線の両サイドのスペースが空くので、そのスペースを利用して中央へクロスボールを供給する事が主流になった。これにもシステムのトレンドによる流れがある。
SBの攻撃参加が主流になる以前、多くのチームは<4-3-3>のシステムを採用しており、最前線の両サイドには“サイド攻撃専任のウイング”が配置されていた。そのため、SBの攻撃参加できるスペースがなかった事と、サイドの攻防に置いてのウイング対サイドバックは個人での仕掛け合いを重視していたため、SBも安易に攻撃参加できなかった。ウイングにもサイドを突破する個人技に特化した選手が多かったからだ。それが2トップが主流になる時代に入る事で、サイドのスペースが生まれ、SBの攻撃参加が戦術として使われ、今では基本になったという流れだ。
<4-4-2>のシステムが主流となった時代、イタリアのACミランでアリゴ・サッキ監督のゾーンプレスがトレンドとなり、よりコンパクトなサッカーが浸透した。その上で相手が2トップになった事で、センターバックが2トップをマークする事を第1に考えた事で、カヴァーリング要因となるリベロを置いた3バックの導入がドイツ方面で多くなされた。
しかし、一般的に守備に比重がかかる3バックよりも4バックを選択したい。ただ、4バックを採用すると、ボールを持った時はセンターバック(CB)が2トップとマッチアップする。すると、4バックを採用するチームはボールを持った際にプレスがかかりにくいポジションというのがSBのみ、という配置上の理由で、SBにゲームメイクをする能力が求められるようになった。それが現在で言えば、日本代表の内田篤人やドイツ代表のフィリップ・ラームなのだ。
1トップが主流になった現在
そして、時代はさらに進み、日本代表も採用している<4-2-3-1>、<4-3-3>という再び両サイドにウイングを置く時代がやってきた。これはコンパクトなDFラインに対して、両サイドから相手最終ラインを見ながらスペースに走りこむ事で、オフサイドになりにくくする事や、どのチームも最前線と最終ラインが縦にコンパクトになったぶん横を広く使う事でスペースを生もうとした結果だと思われる。
ただし、サイドに人を置く事によって、中央のFWが1人、またはゼロトップなどという人の配置もあったりする状況もあるのが現代サッカー。これに連動して起きたのが、CBへのビルドアップ要求だ。
なぜなら、両サイドに攻撃的な選手を配置する事で、SBには常に対面する選手ができてしまったからだ。中央で1人少なくなったぶん、CBに攻撃の組み立てを行う時間的余裕という名のスペースが出来たのだ。
ジョゼップ・グアルディオラ監督時代のバルセロナはその象徴で、CB同士の試合中の選手交代が頻繁に行われ、試合後の会見で交代理由を聞かれた監督が、「攻撃の流れが悪かったからCBを交代した」と平気で語っていた。それに適したジェラール・ピケやラファエル・マルケス、ガブリエル・ミリートがチームにいた事も理由としてはあるだろうが、ヤヤ・トゥレや、ハビエル・マスチェラーノ、セルヒオ・ブスケスというMFがCBをよく務めた理由にも、CBにボールを攻撃の第1歩となるビルドアップ以上となるゲームメイク能力を求めていた証拠だ。
時代の先端を行っていた西野監督時代のガンバ大阪
我等が日本のJリーグにもそんなチームがあった。西野朗監督が率いていた頃(2002~2011年までの10年間)のガンバ大阪だ。当時のガンバ大阪にはシジクレイ、宮本恒靖、山口智という“ゲームメイクができるCB”が在籍していた。ガンバにはこのトレンドがやってくる前から、このプレースタイルの下地があった。しかし、昨季国内タイトルの3冠を果たしたガンバ大阪のCBである岩下敬輔、丹羽大輝、またはボランチの今野泰幸はまだここへ到達しているとは言えない。というよりも、現在の長谷川健太監督がこのプレースタイルを拒絶しているようにも思える。このプレースタイルを貫く西野朗監督の存在も大きかっただろうが、当時のガンバ大阪は時代を先取りしていた、と言っても良いのかもしれない。思えば、彼等3人の“ガンバ大阪流CB”はボランチとしてのプレー経験がある選手達だ。