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グッバイ・トヨタ サンキュー・トヨタ

インターコンチネンタルカップとその混乱と参加チームの激減、それを解決するべく中立地での実施を確立したトヨタカップ。

その一方で真の世界一のクラブを決定するべくFIFAが独自大会を画策したが、スポンサーの経営破綻で大会が中止に追い込まれたFIFAがクラブ選手権。

この2つを統合する形で、2005年から実施されてきた「FIFAクラブワールドカッププレゼンテッドバイトヨタ」
その名の通りトヨタカップ時代から約35年間、冠スポンサーとして大会を支えてきたトヨタ自動車が2014年の大会をもって撤退したことを発表した。

トヨタカップは私達日本人にとって聖地・国立競技場で生で、チャンピオンズリーグとコパ・リベルタドーレス杯の両雄が観戦できるということ、その意義は計り知れない。
欧州はおろか南米クラブのサッカーはなかなか実際に見ることはないから、地球の裏側のクラブはどんなサッカーを披露してくれるのか、とくにテクニック面での好奇心はまさにMAX状態になり、サッカーフリークは固唾を呑んでスタジアムやテレビ中継を集中してみたものだ。

またこの大会が実施されていた80年代は欧州と南米の実力は拮抗していて、単なるお祭り的な興業の域を超えていた。
欧州がはじめて勝利したのは第6回大会のユベントスで、このときチームの立役者であったプラティニ(現UEFA会長)の見事なゴールがオフサイドで取り消されて、思わずグランドに寝そべるというシーンは特に有名で、見たことがある人も多いだろう。じつはこの試合は120分でも決着がつかず、PK戦で最後にプラティニが決めて、はじめてトヨタカップが欧州に渡った。

時代が下るにつれ次第に欧州の実力が上がってきたが、そうじてロースコアが多く、なにか外国クラブ同士の試合となると、派手な打ち合いをどうしても想像してしまいがちになるが、じつは延長・あるいはPK戦になることが多かったが、逆に引き締まった試合がおおいという印象があった。

トヨタ自動車の広報はマスコミを通じて次のようにコメントした。

「世界のサッカーの裾野は大変広がっており、多くの人たちが愛好するスポーツの普及、振興の一翼を担う一定の役割を終えたのではないか」

トヨタ自動車はもちろん民間の一企業で経営判断としての決定、また世界の多くのクラブの胸スポンサーも務めていることもあり、いろいろな面での判断があったのだろう。