9〗Campo de Fútbol de Vallecas / マドリッド

ヴェジェカーノで汗を流す競技者達

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総合スポーツクラブであるラーヨ·ヴァジェカーノに各競技種目の部門があるわけではなく、マドリッド市の各スポーツ協会がヴァジェカスの中に練習施設を置いている。バラエティ豊かな看板が並ぶ。ボクシングジムの”エルラヨ”はスペインでも屈指の名門。泪橋の下に丹下団平がこさえたジムとは比較にならない。
映画『ハスラー2』(1986年制作)を劇場で鑑賞し、プールバーに通った世代からするとビリヤードは見ているだけでも楽しい。小学生の息子と競ったのも懐かしい想い出。卓球もラケットが描かれているのでわかるとしてチェス協会。別にトレーニング施設はいらないし、そもそもスポーツなのかと疑問符が。それにしても欧州のスタジアム近郊では、体操やテニスなど汗を流して帰宅前の女の子達をよく目にするが、
ここは雰囲気が異なる。自分の娘をこんな所には通わせない。それでも2000年にラーヨの女子部が誕生しこれまで日本人女性フットボーラーおふたりが過去に所属している。
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Portazgo駅から地下鉄に乗ると正面の男性の胸に見慣れた稲妻エンブレム。明らかにファン·サポーターの類いとは異なるたたずまい。リュックから前週のポルトガルでのプレスカードを出して取材の旅で来ていると説明すると、ポルトガル人でお名前はパコさん。コーチをしているそうで筋肉系の医学専門書を読んでいたから、ユースかアカデミーでフィジカルの指導をされているのかもしれない。
僅かな時間立ち話ならぬ座り話でレンズを向ける事にも快諾をいただく。「ヴァジェカスのスタジアムは初めて?」と聞かれたので「以前ジエゴ(ダ·シウヴァ)コスタ:Diego Costa【1988年10月7日生】を見ています。」と答えると「ちょっと懐かしいね」と相好も崩れる。
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2012年1月からの期限付き移籍ではあるが、白地に赤襷のユニフォームに袖を通したコスタ。前年夏の十字靱帯断裂で長期欠場明けは、試合勘の戻りが懸念されたものの蓋を開けてみれば手がつけられない。実は2012年にスペインを訪問してはいない。もちろん嘘はついていない。
あの日あの時は■2012年2月25日ラリーガ25節ラーヨ·ヴァジェカーノ対レアルマドリー
ジョゼ·モウリーニョ:José Mourinho【1963年1月26日率いる銀河系軍団は首位、一方の下町のマドリードのクラブは13位。ラーヨデビューとなるサラゴサ戦から三連勝、三試合連続の四ゴールで、サポーターの心を鷲掴みにしたコスタ。白い巨人が相手でも、もしやと期待せずにはいられないラジスタス。その期待に応え前半戦はスコアレスで乗り切る。終了のホイッスルが鳴るとスコアボードには0-1の文字。最小失点ながら決めたのは千両役者の背番号7だった。十三年前の今日2月25日行われた試合。
 
先を見抜いて判断する力を表す「先見の明」。自分にあるとは思わないが、昨年までボタフォゴでプレーしたジエゴ·コスタを目の当たりにして興奮したのは16年前。勝手にこれは将来代表入りもあり得るのではなかろうかと思えた。しかしまさかセレソンではなく赤いユニフォームになるとは。ブラジルから18歳の若者をポルトガルに連れてきたのはブラガ。9試合に出場後2007年1月セルタ·デ·ビーゴへ。
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2009年5月2日 テレサ·リヴェロへと足を運んだファンの数は八千人程度。ラーヨはまだ昇格に首の皮一枚可能性を残していた試合。しかし地元サポーターは意気消沈して帰路へ。スコアは0-3でアルバセテ·バロンピエが完勝。この試合の映像がユーチューブにUPされている。


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