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Portazgo駅から地下鉄に乗ると正面の男性の胸に見慣れた稲妻エンブレム。明らかにファン·サポーターの類いとは異なるたたずまい。リュックから前週のポルトガルでのプレスカードを出して取材の旅で来ていると説明すると、ポルトガル人でお名前はパコさん。コーチをしているそうで筋肉系の医学専門書を読んでいたから、ユースかアカデミーでフィジカルの指導をされているのかもしれない。
僅かな時間立ち話ならぬ座り話でレンズを向ける事にも快諾をいただく。「ヴァジェカスのスタジアムは初めて?」と聞かれたので「以前ジエゴ(ダ·シウヴァ)コスタ:Diego Costa【1988年10月7日生】を見ています。」と答えると「ちょっと懐かしいね」と相好も崩れる。
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2012年1月からの期限付き移籍ではあるが、白地に赤襷のユニフォームに袖を通したコスタ。前年夏の十字靱帯断裂で長期欠場明けは、試合勘の戻りが懸念されたものの蓋を開けてみれば手がつけられない。実は2012年にスペインを訪問してはいない。もちろん嘘はついていない。
あの日あの時は■2012年2月25日ラリーガ25節ラーヨ·ヴァジェカーノ対レアルマドリー
ジョゼ·モウリーニョ:José Mourinho【1963年1月26日率いる銀河系軍団は首位、一方の下町のマドリードのクラブは13位。ラーヨデビューとなるサラゴサ戦から三連勝、三試合連続の四ゴールで、サポーターの心を鷲掴みにしたコスタ。白い巨人が相手でも、もしやと期待せずにはいられないラジスタス。その期待に応え前半戦はスコアレスで乗り切る。終了のホイッスルが鳴るとスコアボードには0-1の文字。最小失点ながら決めたのは千両役者の背番号7だった。十三年前の今日2月25日行われた試合。
先を見抜いて判断する力を表す「先見の明」。自分にあるとは思わないが、昨年までボタフォゴでプレーしたジエゴ·コスタを目の当たりにして興奮したのは16年前。勝手にこれは将来代表入りもあり得るのではなかろうかと思えた。しかしまさかセレソンではなく赤いユニフォームになるとは。ブラジルから18歳の若者をポルトガルに連れてきたのはブラガ。9試合に出場後2007年1月セルタ·デ·ビーゴへ。
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2009年5月2日 テレサ·リヴェロへと足を運んだファンの数は八千人程度。ラーヨはまだ昇格に首の皮一枚可能性を残していた試合。しかし地元サポーターは意気消沈して帰路へ。スコアは0-3でアルバセテ·バロンピエが完勝。この試合の映像がユーチューブにUPされている。
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試合チケットは10ユーロ。しかし9ユーロはジエゴ·コスタのプレーに払ったようなもの。先制点エリア内で倒されながら、すぐさま起き上がりロメロ:Jaime Romero【1990年7月31日生】に出したパス。スピード、パワー、テクニック、しかし一番の売りは前述の闘争心と鋼のメンタル。ハングリー精神の塊が放つエネルヒーアがスタンドまで伝わる。それにしてもこのシーズンだけアルバセテでプレーしたコスタが、三年後ヴァジェカスのサポーターから大歓迎を受ける事になるとは。
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ラ·リ-ガ経験者が顔を合わせた豪華なストライカ-対決
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スペイン代表を選択して故郷ブラジルでは裏切者呼ばわりされ罵詈雑言を浴びたストライカ-も23年のウルバーハンプトンとの契約を満了するとを最後に欧州を離れ母国に腰を据える。ボタフォゴを経て昨年は35歳にしてグレミオと契約。12月にカンピオナート·ブラジレイロ·セリエAでは、コリンチャンス·パウリスタと対戦。ブラジルに行ったことはないが、サンバとコーヒー豆、そしてフッチボルの国。幼い頃からのイメ-ジは崩れることなくこの試合も四万人を超える観衆。