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今野泰幸とは?〜今野泰幸著「道を拓く力」を読んで(その1)

 僕は以前からしているブログ内でガンバ大阪と日本代表を中心にマッチレポートやコラム形式の記事を書き綴って来ましたが、なるべく感情的になるのは抑える客観的視点と微妙にブランドした主観性で記事を書いてきたつもりです。

 また、そう称されるコメントも多々いただきました
 なので、それが僕のスタイルなのでしょう。

 それでも、僕はガンバの試合でも日本代表の試合でも今野泰幸を批判するような事をずっと書いて来ました。確かに彼が悪いプレーをしていたからそう書いて来たつもりです。また、結果的にガンバがJ2へ降格し、彼自身は3度目のJ2降格を経験している事も額面通りの実績やプレーを出せているわけではない証明です。日本代表もコンフェデ杯とW杯で合計6試合で1分5敗の15失点という惨敗に終わったのも遠からず彼に責任がある、と今でも思っていますが、そこに感情的になり過ぎた事はなかった?とよく自問自答する事はあります。また、急激に起用されなくなった武井択也(現・ベガルタ仙台MF)や、今野加入により弾き出されるような格好となった山口智さん(現・ジェフ千葉DF)が好きだった僕にとっては影響していたと思います。
 J2へ降格するシーズンとなった2012年に彼がガンバに加入したわけですが、チーム成績に関わらず彼への批判が皆無で、周囲の守備陣に対してのそれが多かった事も、僕が使命感のようなつもりで批判的な事を書いていたのかもしれません。

 しかし、2012年のJ1リーグ第33節・ホームでのFC東京戦で、2-1とリードしていた終盤にゴール前で相手にアシストするようなクリアミスをして同点に追いつかれた試合後、「両足攣っていたんで」と映像付きのコメントが僕を含めたガンバサポーターの何割かの人々が彼へ嫌悪感を抱いた事は確かで、僕もそれを大きなキッカケに批判的になって行ったと思います。それでも彼は昨季のJ2でも良いプレーをしていたとは言えず、長谷川健太監督もCB起用を嫌っていた風潮は見えていましたが、その批判に僕の感情的な部分が多く入っていなかった?と問われれば何とも言えません。

 また、使命感のようなつもりで書いていても一向に気持ちは晴れるわけもなく、けしてプラスの方向には向かいません。ガンバが低迷して喜べるはずもなく、かと言って心から応援する事もできず。これは2012年のシーズンインから多くのガンバサポーターの方々も持っていた気持ちに少し似ている部分もあるかもしれませんが。

 僕が今野について皆様に言いたかったのは、まず彼のプレースタイルや印象。
「CBとしては身長が低いが、ラインコントロールやDFラインの統率など頭脳的なプレーで防ぐ」というような彼の紹介があまりにも多いこと。しかし、実際は以前にも当ブログで書いた通り、城福浩さん(現・ヴァンフォーレ甲府監督、今野在籍時のFC東京監督など)の著書『Jリーグプロサッカー監督プロッフェナルの思考法』の中でも記述されている「本能的なプレーと類まれな身体能力の高さでここまで来た」「サッカーの基本戦術やロジックを全く理解できていなかった」というような本能的(感覚的でもない)にプレーしてきた選手だという事です。

 今まで僕が書いて来たような批判や、城福さんの今野評などなど、それらが全て今野自身の著作「道を拓く力」に書かれていたので、それを元に改めて当ブログ的今野論をまとめたいと思います。

「嫌い、嫌いは似ている証拠」とも歌える

 こういった記事を書こうと思ったキッカケは、もちろん「道を拓く力」を出張中古屋さんが破格で売っていたので購入した事ですが、それ以上に思ったのは僕の学生時代の話でした。
 僕は中学・高校と学校のサッカー部に所属していましたが、高校の時から諸事情があってアルバイトをしていた時期もありました。3年生になって競技から離れたあとは初めての大きな買い物としてギターを購入して音楽活動をしていた時期もありました。その時に作った楽曲を、僕は今野の著書を読みながら思い出したのです。

♪〜 君が嫌いなのさ それは偶然 俺も君が嫌い
   それは奇遇だ もしかして俺達は 気が合うのかもしれない

これがその楽曲の歌詞です。
よくありそうな歌詞、体験談かもしれません。
特に異性を見る時は、最初は「嫌いだな、アイツ」と思っていたヒトを「いつのまにか好きになっていた」というような経験はありませんか?
または「嫌いの反対は好き」「嫌いの嫌いは好き」などもこの例えに沿っている意味合いでしょう。特にロックバンドをしていた僕にとってはロック的視点としての皮肉感を出したかったので、こうした表現を使ったのでしょうね。

名波さんのプレーに魅了されて両利きに

そして、この今野の著書の中には彼の中学時代の頃の話もありました。
僕は彼とは同い年生まれで、彼の方が学年が1つ上とはいえ、年代的には同じな事と当時のサッカーを観る、プレーする環境とは似たようなモノだった事もありました。