冬の移籍市場で夏の対戦したパルチザンに貸し出されると母国のクラブでの復帰初戦が前述したチェコ·ピルゼンでのヴィクトリア戦だった。ポジションは中盤の底(二枚)でもスパルタ·プラハ戦は二試合連続で先制ゴールをアシストする絶妙のパスを配球。四ヶ月後にチームを離れるまでの四年半の在籍で計百九十七試合に出場した。
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同僚に日本人 もうひとつの共通点は
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ミロシェビッチとトシッチ、そしてズェラールの三人。日本人と同僚だった事以外にももう一つ共通点がある。クラブチームで百四十六、代表で三十七のゴールをを記録し引退したミロシェビッチの最後の得点は、2008年11月サトゥルン·ラメンスコーエとの試合。終了間際の決勝ゴールで生涯の打ち止め。昔のパチンコ屋のハネモノには“打ち止め”があった。このシーズンのルビン·カザンは四節首位に立つとそのまま独走。クラブ創設五十年目で初となるロシアプレミアリーグ制覇に貢献して自身の有終の美も飾った。ズェラールは現在ゼニト·サンクトペテルブルクに所属。負傷の影響でここまでカップ戦の出場一試合のみ。情報が入り辛い国なので気になるところ。ミロシェビッチはカザン、トシッチはCSKA、ズェラールはCSKAとゼニト、何れもロシアでのプレーを経験している。
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今年は八十年の節目とあって、大戦を振り返る活字が目立つのは日本国内だけではない。第二次世界大戦における欧州戦線が終結したのは’45年5月15日のスロベニア。その十日前に共産党のスポーツ大臣は、国領内に戦前からあるクラブへ解散を命じる。それに逆行して同年二月の段階で、新たな市民クラブを立ち上げ、翌年学生のスポーツクラブと合併したのがツルヴェナ·ズヴェズダ青少年·学生スポーツクラブだった。
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大セルビアの市民クラブと汎スラブ の軍隊チ-ム
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パルチザンは、同年十月ユーゴスラビア人民軍のスポーツ協会所属部門として設立された。名称は共産党パルチザン軍を称えるもので若手将校グループに加えスペイン内戦に参加した兵士が加わる。設立間もなく雪の積もる中でCSKAモスクワとの試合記録が残されていた。パルチザンは間もなく軍から独立するのだが、大セルビア主義的な赤星に対抗してクラブカラーに黒を取り入れ汎スラブ主義を打ち出した。現在の両クラブサポ-タ-からは政治的イデオロギ-の対立は薄れている気がする。しかし半世紀の間に様々なトラブルが火に油を注いだ結果、憎悪の連鎖によって世界屈指の危険なデルビ-が作り出されたのだろう。
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改めて二つの主義を説明しておくと大セルビア主義は、セルビア人が居住する場所はセルビアの領土。他民族や国家の領土や支配権すら侵害しかねないナショナリズム。一方の汎スラブ主義はスラブ民族の統一と連帯を旗印に掲げ、あくまでもロシアが盟主として主導権を握る前提だから日本人からするとどちらも微妙で理解に苦しむところ。その後’90年代にユーゴスラビア解体されセルビア主義が再び台頭した事で、ツルヴェナ·ズヴェズダのサポーターの一部にこの思想が支持される。スタジアムが民族主義を象徴する為の場に変貌したのは非常に宜しくない。
最後の写真はギリシャ中部、アテネから北へ二百キロの都市ラミアのPASラミア1964在籍時のトシッチ。昨夏でこのクラブを退団し三十六歳で引退かと思われたが約五ヶ月浪人しての現役復帰。年明けから所属するのはロシア西部のFC SKAロストフ·ナ·ドヌ。EU非加盟反NATOを貫く国家で汎スラブ主義?のクラブでプレーしていればこの時期シベリア方面に向かうのも然程抵抗はないのだろう。〖第五十六話了〗
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝