30〗Stadio Artemio Franchi / フィレンツェ


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似て非なるものが、2004年夏頃から欧州のビッククラブが日本のクラブと親善試合を行う来日興行。二十年を経て昨年は来日ラッシュとなり、今夏も既に複数のクラブが既に計画しているらしい。欧州クラブ側は日本での人気向上とグッズ売上増収が目的。日本のファン·サポーターからすれば、おらが街のクラブが世界と手合わせならぬ足合わせする“夢”を買う。但し協会やJリーグとは関係のない興行主=スポンサーが営利目的で開催しているのだからチケットが高額だと文句は言うのは筋違い。お客様が満足しているのであればケチをつける気もない。

但しメディチ家のコレクションはアルノ川に架かるヴェッキオ橋を窓から見下ろせる建物で堪能するものだし、フィオレンティーナの試合を見るならば老朽化は否めなくともピエール·ルイージ·ネルビ:Pier Luigi Nervi【1891年6月21日生-1979年1月9日没】の初期代表作であるアルテミオ·フランキで、ヴィオラサポーターに囲まれてこそ本物の雰囲気を味わえる。


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この日の入場者数22.983人。シーズン平均の26,470人を下回るとはいえ、メインスタンド以外屋根のないこのスタジアムに大雨の中、足を運んでいるのだから頭が下がる。結局のところ、文化的な付加価値の大半は“人”なのである。ちなみに2005年にはレアルマドリーを味の素スタジアム、バイエルン·ミュンヘンを旧国立まで足を運んだが、レアル戦に比べバイエルン戦は良心的な価格だった。
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聞くと行くでは大違い 十年の歳月は人を待たず

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上写真から十年後、高校一年の夏休みを利用して息子をイタリアでの仕事に同行させたのは’16年の夏。通称ダ·ヴィンチ空港、正式にはフィウミチーノ空港に着陸。テルミニ駅から徒歩十分もかからない安宿を手配。そこからエンポリ、ヴェネツィア、ミラノはグレードアップするのだが、ローマの部屋は自分もこんな汚い部屋は利用した事がない襤褸宿にした。駅の南側は小便の悪臭がひどい。永遠の都と美化される表とは別に裏の顔を持つ都市。アウェ-の洗礼をあえて浴びさせることにしたのだが、少々やりす過ぎてしまい些か心苦しい。間もなく十年あれほど汚い宿に出逢ったことはない。

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テレビや新聞などメディアは事実を伝えてくれる。しかしそれは一方向から見た事実や、自分達の都合の良い事実だけを伝える。事実=真実ではない。自分の眼で見て自分で感じなければ真実にはたどり着けないと伝えたかったのだろう。それにしても欧州を旅して鼻が曲がるほどの尿臭ランキングならば、第九話で紹介したマドリッドのスタジアムと、ローマのテルミニ駅周辺のツ-トップで間違いないから苦笑する。既に二十代半ばの息子に伝えることはないが、自分に言い聞かせるならば「歳月は人を待たず」。
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三月八日アスト-リの葬儀には数千人の弔問客がサンタ·クローチェ聖堂の外に集まり、棺が式場を去る際にはセリエAの各クラブの旗が後ろに掲げられた。キャプテンマークの腕章を引き継いだミラン·バデリ:Milan Badelj【1989年2月25日生】は弔辞の中で、「僕らの心は共にある。これから成長していく君の娘に寄り添い、父親がどんな人物だったかを伝えていく」と述べた。当時二歳だった愛娘も来年には十歳の誕生日を迎える。〖第三十話了〗
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝