14〗Stade Dominique Duvauchelle / クレテイユ


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あの日あの時あのは、記憶に新しい■2024年09月07日フランス全国選手権2 -グループC第四節 USクレテイユ=リュシタノ対ASヴィレ·ウルガット  
ブルーの色味はより深くなり紺色で上下ソックスまで統一のホームチーム。後半開始五分のコーナーキックからの競り合い。こぼれ球を押し込んだのはイブラヒマ·セック:Ibrahima Seck【1989年8月10日生】。三十九分にはエリア外中央でパスを受けるとワントラップでエリア内へ。豪快に左足を振り抜いてネットを揺らすダメ押し弾。本職の中盤守備でも攻撃の芽をつみ、クリーン‐シートに貢献した。写真は22年にズルテ·ワレヘム在籍時に撮影。


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初めてその名を知ったのは’12年のロンドン五輪。セネガル代表は準々決勝で金メダリスト·メキシコ代表に延長戦での敗退。セックにこの大会で与えられた出場時間は一分間だけ。ほぼベンチに根が生えた状態。当時同年代同胞で守備的中盤のトップランナーは、モハメッド·ディアメ:Mohamed Diamé【1987年6月14日生】。こちらは第 話で書いた2009年のラージョ·バジェカーノで試合を見ており、その長い脚は記憶に残っていた。

クレテイユ 

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2014年に制作されたフランスのドキュメンタリー映画『Les Héritiers』。筆者も全く知らなかった作品が日本で公開されるのは、ドミニク·デュヴォーシュルを訪問してから三ヶ月経ったら頃。高校入学した息子とイタリアを旅する準備をしており映画観賞どころではない。邦題『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』を見るのは暫く先のこと。


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貧困層が暮らすクレテイユのレオン·ブルム高校。様々な人種が集まりトラブルが絶えなかった生徒達が、アウシュビッツ強制収容所での生活を経験した生存者との出会いをきっかけに変わっていく。2009年の実話に基づき、自らの体験を映画化すべく脚本を手掛けたのは出演している俳優のアハメッド·ドゥラメ:Ahmed Dramé【1993年4月2日生】。それにしてもモハメッド·ディアメとアハメッド·ドゥラメ、実際にこの文章を書いていてもややこしく、モハメッド·ドゥラメと誤って打ち込んでいるの気づき訂正した。慶應義塾大学の初代学長から日本女子大創設に尽力した実業家へと一万円札が変わったことで永ちゃんが注目されるのもわかる気がする。ちなみにディアメとドゥラメは共にクレテイユの出身。クレテイユと西成周辺に同じ臭いを感じるのは気のせいか。


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ディアメは中学年代をINFクレールフォンテーヌ:InstitutNational du Football de Clairefontaineで過ごしている。前述のマテュイディもUSクレテイユのユースに所属しながら同センターに通っていた。彼らが学んだクレールフォンテーヌ養成所も”国立の施設”。移民を中心とした貧困層からの発掘育成が目的なので、十三~十五歳までの二年間の限定で無償。1972年育成改革に着手して誕生した教育施設がINF。国立フットボールセンターがクレールフォンテーヌに完成したのは’88年。既に三十七年の歴史を誇り現在も健在。
クレテイユの学校を舞台にストーリーが展開する映画でもうひとつお薦めがあるのだが、それはまた次回に取って置く。
Les Héritiersha 奇跡の教室 受け継ぐ者たちへは16歳以上の年齢指定作品ではあるが、NET FLIXでも視聴可能なはず。お薦めするのでご覧になり感動していただければ幸いなり。〖第十四話了〗