57〗FK „Žalgiris“ namų stadionas / ヴィリニュス

見覚えがあるJ初のリトアニア人    

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前々回Jリ-グの試合を取り上げたが、昨年六月初めてリトアニ人Jリ-ガ-が誕生した時は些か驚いた。ヴィキンタス·スリヴカ:Vykintas Slivka【1995年4月29日生】がサガン鳥栖に加入したのだが、正確にはリトアニア人だから驚いたのではなくスリヴカが来日したことに驚いたのである。二月末日のアテネ、アトロミトスとPASラミア1964のギリシャ·ス-パ-リ-グとの試合、後半途中出場したゾラン·トシッチ:Zoran Tošić【1987年4月28日生】のアップ姿の写真を最後に掲載したのが前回56話。この試合でツ-トップの一角としてスタメンのスリヴカをフレ-ムに収めたばかり。この日も同点ゴ-ルを決めて活躍したのだが、その長身と結んだ長髪が印象に残ったのは彼の珍しい国籍に他ならない。
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おそらくリトアニア国外に限れば、リトアニア人のフットボ-ラ-を見た人数は二桁にも満たないだろう。
スリヴカの来日で俄然注目したのが昨年9月30日の等々力スタジアム。アディショナルタイムのPKを清武弘嗣:Hiroshi Kiyotake【1989年11月12日生】が決めて土壇場で同点に追い付いた鳥栖。しかし審判の笛はなかなか鳴らず現セルティックの山田新:Shin Yamada【2000年5月30日生】の決勝弾で決着がついた壮絶な試合。その直前双方負傷者を出してピッチ上の人数は十対十に。鳥栖ベンチに下がったのはスリヴカ。後半十七分からの途中出場。
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実はこの試合の興味はその二分前に薄れてしまった。川崎は右サイドバックのファンウェルメスケルケン際:Sai van Wermeskerken【1994年6月28日生】を代えてしまったのだから。翌年の夏にリオ五輪を控えU23代表に招集が噂され出した際を見ようとドルトレヒトへと向かったのは十年前の十月後半。オランダは日本の冬並みの寒さでスタジアムは暖房の火がともされた。さてこの日のオランダ二部の試合を撮影。白のウェアのホ-ムチ-ムと対する青はFCデン·ボシュ、互いにダプルボランチの4-3-3。中盤の出来が勝負の分かれ目となり結果2-1でドルトレヒトは敗れてしまう。デン·ボシュの26番は「随分若いな」と思いつつスタメン表の名前が読めない。「これはチェコかスロバキアあたりか?」と勘違いしていたのがスリヴカだった。
昨年等々力でV.W.際とスリヴカのマッチアップが実現していたならば地団駄踏んで足を運ばなかったことを後悔していたかもしれない。
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あの日あの時は■2022年9月23日 UEFAネーションズリーグCグループ1リトアニア代表対フェロ-諸島代表。会場のジャルギリス·スタディオナスの公式入場者数は2,376人。この試合は先制されながらスリヴカの同点ゴ-ルで追い付きそのまま1-1のドロ-。後半からモデスタス·ボロビョバス:Modestas Vorobjovas【1995年12月30日生】がピッチに。一昨年イスタンブ-ルでプレス席で両チ-ムの顔ぶれに目を通す。ボロビョバスの名前を見て「ギリシャ人に違いない」と思ったがスマフォで調べたらまたも外れ。それだけだはない。実はFKジャルギリス·ヴィリニュスの試合を取材した際、主将のプレ-を評価していたはずが、五年を経て髭だけでなく頭髪までキレイに剃り落としていたから、同一人物と判らなかったのである。
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