ちなみにセルビアの食事は、肉に始まり肉に終わる。肉を焼いたグリル料理が多く豚·羊·鶏と何の肉でもよく食べる。海に面していないのだからそれも当然。個人的には好印象を抱いていたクラブチームだけに件の件は残念でならない。このスタジアムは選手控室がメインスタンド側ベンチの反対側にあるため、選手とスタッフはピッチを横切り入場してベンチに腰掛けることになる。待ち構えていたところに186cmの巨漢が登場。序盤十六試合連続ノーゴールでも信頼は変らず、スタメンに起用し続けてくれた恩師にこの試合でも浅野は結果を出して報いた。
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現場に復帰したバルカンの大型ストライカ-
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サボ·ミロシェビッチ:Savo Milošević【1973年9月2日生】はスルプスカ共和国のビイェリナ出身。スルプスカはボスニア·ヘルツェゴビナの国土の半分を占めセルビア人が暮らしていた。’92年にパルチザン·ベオグラードのユースからトップデビュー。サラゴサ、エスパニョール、セルタ、オサスナとキャリアの大半をスペインで過ごしているのだが、日本のサッカーファンにはパルマのサボが記憶に残っている。FIFAワールド杯日韓大会前の重要な2021-22シーズン。パルマから背番号十を与えられ熱烈な歓迎を受けたのは中田英寿:Hidetoshi Nakata 【1977年1月22日生】氏。2021年9月8日セリエA第2節はホーム開幕戦。トップ下=司令塔に新加入中田とツートップはアズーリデビュー(モロッコとの親善試合)直後のマルコ·ディ·ヴァイオ:Marco Di Vaio【1976年7月15日生】、もう一枚が前年のUEFA欧州選手権では四試合五ゴールで得点王に輝いたミロシェビッチ。この攻撃の《三本の矢》は、相手のインテルと比べても見劣りしない。’95年のユーゴスラビア代表デビューから、セルビア·モンテネグロ時代を経て、’08年にセルビア代表のユニフォームを脱ぐまで刻んだキャップ数は百二。この試合先制されたパルマは十三分後、ディ·ヴァイオからミロシェビッチと繋ぎ同点。その後双方が一点づつを加えてのドロー決着となった。このシーズンのパルマは、猫の目が如く指揮官を変えまくり、’02年サラゴサへと貸し出されると結局イタリアには戻らず。
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引退後はセルビア協会の副会長を務めた大物がパルチザンで現場復帰したのが’19年。この日は監督の他にもうひとり、јапанац=ヤパーナッツを知る男ゾラン·トシッチ:Zoran Tošić【1987年4月28日生】もスタメン。2010年8月1日、春開幕のロシアプレミアリーグ15節。マンチェスター·ユナイテッドから加入したセルビア人はスパルタク·モスクワ戦でスタメン起用された。逆サイドの本田圭佑:Keisuke Honda【1986年6月13日生】と共に攻撃を牽。続く14日のアンジ戦ではトシッチのロシア初得点を本田がアシストしている。’13年12月に本田がミランへと旅立まで多くのタイトルを分かち合った僚友。ところがザックジャパンの東欧遠征の際は敵味方に別れて対戦している。この試合は2-0でセルビアが勝利。
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あの日あの時は■2022年2月24日UEFAカンファレンスリーグ決勝トーナメントプレーオフ第2戦パルチザン·ベオグラード対ACスパルタ·プラハ。
欧州の舞台で四年ぶりにグループリーグを突破したパルチザン。2017-18シーズンのUEFAヨーロッパリーグではグループBをディナモ·キーウに次いで二位で突破。しかしチェコの強豪FCヴィクトリア·プルゼニに敗れているだけにこのスパルタ戦は同国にリベンジを果たすチャンス到来。敵地で先勝しているだけに精神的にも優位なのは間違いない。
約二年を経てスタンドメンは見知らぬ名前が並ぶ。ひとりを除いて。ベオグラード出身のサシャ·ズェラール:Sasa Zdjelar【1995年3月20日】は’15年にはFIFA U-20ワールドカップで優勝した黄金世代のひとり。オリンピアコスの一員としてUEFAチャンピオンズリーグ予選三回戦でパルチザンベオグラードを破ったのは’17年の夏。クロアチアのリエカも下し本選へ。しかしグループDはスポルティングCP、ユヴェントス、バルセロナが相手だったから三連敗も仕方がない。
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