欧州史選手権2020の組み合わせ抽選会。ドイツ、フランス、ポルトガルが同居する死のグループは笑える。ユーロの場合毎大会恒例。個人的に印象深いのは2008年スイス・オーストリア共催。2006年W杯決勝での因縁を引き摺る伊仏に割って入ったオランダが、下馬評を覆し3連勝で首位突破、世界王者イタリアは辛うじて2位突破で面目を保ったが、フランスは屈辱の最下位敗退。
しかしそのオランイェの快進撃も自国籍のフース・ヒディンク指揮するロシアにベスト16で阻まれた。
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1998年FIFAフランス大会、結果こそベスト4ながら絶賛された母国代表に始まり、2002年韓国、2006年の豪州とナショナルチームをまとめる手腕を評価されてきたヒディンクも、2012年のトルコ代表では結果を出せずじまい。2016年のユーロ予選もオランダ代表を途中解任。昨年9月には東京五輪を目指す中国から招かれるも、最終予選を開幕を前にして更迭されたらしい。結局2008年のロシア代表が国際舞台における最後の栄光だったか。
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髭を蓄えた知的な表情とその名前が日本のメディアに初めて取り上げれたのは、おそらくトヨタカップ出場のPSVアイントホーフェンを率いた1988年の来日時。
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第133景はPSVの本拠地フィリップス・スタディオン。堂安律の加入で日本人の入場者も増えただろうか。3試合連続で先発出場のUEFAヨーロッパリーグは堂安欠場でスポルティングCPに大敗。最終節を待たずして欧州の舞台から撤退。かつての栄光を知るものには寂し過ぎる。その堂安は昨日今季3点目の速報。チームは復調の気配が見えてきたか。
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ヒディンク1946年11月8日生まれなので筆者と同じ蠍座。フットボーラーと教育者の二束の草鞋を履く変わり種。四足五足の草鞋を履く自分はただの奇人変人。
当時特殊学級の子供たちと接した経験が後の名将を育む。1986-87から89年まで、ライバルのアヤックス、フェイエノールトを抑え、3年連続で銀皿をアイントアイントホーフェンに持ち帰る。
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写真は同市の空港。アムステルダムやロッテルダムとは異なりPSVの試合観戦以外の目的での日本人訪問者などビジネスマン以外にいるのだろうか。
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ヒディンクPSVの天下を覆したのは、前季まで四年連続2位に屈したアヤックス。1985-87シーズンからレアルマドリードでスペイン三連覇を達成したレオ・ベーンハッカーを新監督に迎えた背水の陣。19勝4敗11分のアヤックスが20勝6敗8分のPSVを最終節最少失点差で振り切る薄氷の戴冠。当時ヒディングは42歳、47歳のベーンハッカーは四年連続で国内タイトルを制しリヌス・ミケルスの後継者として欧州で名を馳せた。
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