ぷら~り 欧州蹴球場百景【130】スサ・フェレンツ・シュタディオン / ブダペスト

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日本人が世界の文化の中心に憧れ夢見るようになったのは、国際博覧会と同時に第2回近代オリンピックも開催が決定した19世紀末か。この万博のパヴィリオンとしてグラン・パレとプティ・パレは建てられた。


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左にグランパレ、右にプティ・パレを背にしてボールと戯れるのは贅沢。休日はよく見る光景。誰でも仲間に入れてくれるので当時はスパイクをリュックに入れて旅をした。


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四半世紀が過ぎ1924年にはパリで五輪、翌25年には万博が開催されるのだが、スポーツ施設を専門とする建築家のハイホスは、 パリ五輪のアートコンペティションの建築部門にエントリー銀メダルを獲得している。スポーツとアートの両分野でメダリストとなる快挙。


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アソシエーション ジャポネード代表 齋藤しおりさんが四年に及ぶ癌闘病の末、10月28日他界されたとフェイスブックで知ったのは月をまたいでから。
パリ在住の邦人を中心に東日本震災被災地への支援活動をされていると聞き、面識はなかったがフェイスブックで友達になったのは2012年6月。翌週のパリ滞在時ご挨拶をと思ったが、大使館打ち合わせ後、東北へ移動と行き違い。それから1年半が経過、2013年師走ソシエデナショナルボザールの授賞式に招かれ、パリ滞在時お目にかかることに。美術にも造詣が深くボザール展の日本代表や注目アーティストの特別枠を事務局へ推薦されている旨、お話しをうかがった。

12月上旬はグランパレでサロン開催中、多忙ながら貴重な時間を割いていただき、事前のメールでは「パリは大変寒いのでくれぐれも暖かい恰好をしてお越しくださいね」としおりさん。
緊急入院・手術のため3.11被災地訪問を断念せざるを得なかったのは2016年。初対面でいきなり女性に年齢は聞けなかったが、享年44歳、先週誕生日を迎えた自分より、10歳以上若くして眠りにつくとは。


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故人に敬意を示す献杯はハンガリー名産トカイ地方の白ワイン。貴腐ワインほどではないが甘味が強い。カバーのUr=ユウさんの写真は、黒い装いに憂いを含んだ微笑を選んだ。


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「2013年12月17日パリではお世話になりました。ありがとうございました。・・・」
これが最後にしおりさんに送ったお礼のメッセージ。彼女から二度と返信が来ることはない。
来月はセルビア、アルバニア、ハンガリー、スロバキア、チェコ、ポーランド、ラトビアを巡りラストはモスクワに辿り着く。暖かい恰好をして東欧に挑もうと思う。【百三十景了】
文・撮影 横澤悦孝 モデル Ur=ユウ