ぷら~り 欧州蹴球場百景【130】スサ・フェレンツ・シュタディオン / ブダペスト

来月は本年締めの渡欧。二週間の間で欧州内の国境を超えること10回。常人には理解し難い日程かもしれないが、今回は一人旅。


◆◆◆◆◆

ハンガリーは今年5回目の訪問でブダペストは、過去最も多く訪問した都市になっただろうか。ひと昔前まで回数で他を圧倒していたのがフランスは華の都パリ。いくらアヤックスを観たくても、ポルトガルの居心地が良くても、仕事である以上パリに行かねばならない。


◆◆◆◆◆

パリシンドロームなる言葉がある。筆者にはおよそ関係なく、何処で誰がロビー活動をしたのか知らないが、日本人はフランス、正確にはパリにおそろしく幻想を抱いている方が多い。ましてや文化·芸術の都と崇拝されるからアート業界に身を置く以上、顧客ニーズに応える為パリで過ごす時間が自ずと増える。


◆◆◆◆◆

今振り返っても、自分の未熟さゆえに良い思い出は少ない。画像を整理したらUNESCO本部で事務局長時代のイリナ・ボコヴァさんと国連旗を挟んでのツーショットが出てきた。
緊張して蝋人形になっている自分が笑える。


◆◆◆◆◆

2008年に初めて足を踏み入れた東欧の巴里とも称されるブダペスト。日本大使館の外構まわり、積もった雪を見て12月の訪問だったと思い出す。

ブダ地区のミレナリ―シュ公園ではエキスポが催されていたはずだが、詳細は記憶にない。


◆◆◆◆◆

この公園の横に総合スポーツ施設が建てられたのは1928年。建築家の名前は、アルフレド・ハホス。


◆◆◆◆◆

第130景は、ブダペストのスサ・フェレンツ・シュタディオン。こちらも1922年に完成したハホスの作品。スポーツ施設専門にデザイ二ングするハホス。それもそのはず、彼は超一流のアスリート。アテネで近代五輪歴史の幕が切って落とされた1896年。建築学科で学ぶ学生は水泳種目で2枚のゴールドメダルを獲得。全競技種目を見渡しても18歳の世界王者は最年少記録となる。


◆◆◆◆◆