チェ)今回はドイツ人のサラくんとアーセナルの信託と医療をキーワードに進めます。ドイツにも当然財団がありますね。
サラ)ドイツではStiftungと言います。日本でも人気の高いボルシア・ドルトムントには、2012年からロイヒテ・アウフ財団があります。マヌエル・ノイア―選手も児童財団設立に尽力しました。
チェ)昨年3月英国では、助成財団の投資を促進する法改正が行われました。サッチャー政権はコミュニティの崩壊など、「社会的排除」の要因を生み、ブレア政権に変わると「社会的包」構想のもと関連法制度は抜本的に見直され制度改革が実施されました。しかし1895年以来およそ一世紀近く手つかずだった英国チャリティ法改正に、1992年メージャー政権が着手しています。
サラ)同年にアーセナル・チャリタブル・トラスト=公益信託、慈善信託が誕生します。フットボールクラブが本格的に社会的投資市場へと参入した草分け的存在です。
チェ)1994年にFCバルセロナ、そして1997年、ライバルに負けじとレアル・マドリードが財団を発足しています。
サラ)1995年には、スコットランド最大の都市グラスゴーにて「セルティックの慈善的伝統を活性化させる」と慈善信託が産声を上げました。
チェ)「伝統」とありますが、19世紀後半ウォルフリード神父が「貧しい子供たちへの晩餐」というチャリティーマッチ開催を提唱し結成されたのがセルティックです。
サラ)上写真 セルティックパーク壁面の十字架を首からかけた人物。右下端に銅像も写ってます。
チェ)下の写真ではご家族が銅像の前で記念撮影。その精神は市民、ファンサポーターに語り継がれています。
サラ)セルティックは公益信託とは別に2006年財団を起ち上げます。そして2013年に合併している珍しいケースですね。
チェ)2006年といえば前述のブレアのチャリティー法改革が実現した年で、トッテナム財団が始動します。その後2010年にはチェルシーとリヴァプールの財団、アーセナルが2012年正式に財団を設立するまでに多くのライバルクラブが独立した慈善組織を整備しています。
サラ)一方アーセナルは「シーズン・チャリティ」を設けて、特定の慈善組織への寄付を継続します。例えば2005-06シーズンのチャリティー・パートナーはデビッド・ロキャステル・トラストでした。
チェ)エミレーツの壁面で親指立てた写真があります。
サラ)ロッキーことデビッド・ロキャストルは1967年ロンドン南東部ルイシャムの出身。ルイシャムは移民が多く住む地域で、ロッキーの両親も二次大戦後、カリブ海方面から移住してきたそうです。
チェ)15歳でアーセナルに加入。1984年にはトップデビューしています。プレースタイルは当時としては稀、中でプレイメーカー、外でウィンガー、使う側と使われる側どちらも熟せる選手でした。
サラ)88年にはU21からA代表にも招集されています。
チェ)キャリアのハイライトは88-89シーズン、アンフィールドでの奇跡でしょう。敵地で2点差を引っ繰り返せば逆転優勝。この不可能をロスタイムのゴールで可能にした伝説のシーズン。ロッキーは全試合に出場しています。しかし2001年2月非ホジキンリンパ腫に侵され33歳の若さで他界しました。
サラ)癌ですか?
チェ)私も医学に詳しくないのですが、20種類以上もの異なる癌が発病するそうです。
サラ)故人の家族、クラブ、そして代理人で親友のジェロム・アンダーソン氏が発起人となり『David Rocastle Trust:DRT』が2003年設立されました。Rocky’sの名前で地域社会のプロジェクトに関わり、遺族そしてグレート・オーモンド・ストリート(GOS)病院のチルドレンスチャリティと英王立癌研究基金(2002年設立)を支援します。