欧州蹴球文化探訪 第九の巻 6-1のスコアと二十二年の歳月

ファッションの最先端を行く都市ミラノ。レンブラントに代表される美術のアムステルダム、そしてモーツァルトで知られる音楽のザルツブルグ・・・を舞台に、
なぜか三国志(歴史ドラマ)風三つ巴の抗争を展開するストーリーも今回の一幕で終了

決勝戦開催国王者の意地とプライド

 やたら敵味方登場人物が多く、異なる場所で戦闘が同時進行するなか、新たな登場人物の過去を掘り下げて、本筋が進まず観ていてストレスを感じる・・・まるで某TVアニメのような、このコラムのとっちらかりを整理するため、ザルツブルグとオーストリア関連の話題もこの巻にて掉尾を飾りたい。

 UEFA杯決勝にまでデロリアンでタイムスリップした。パリで乗り込み現在ミラノに移動中。


[デロリアンことDMC-12]

 米国W杯終了後、今度は栄光のチャンピオンズ・リーグ(CL)参戦に意気揚々のザルツブルグ市民。

 決勝の舞台はウィーンのエルンスト・ハッペルのため問われるオーストリア王者の尊厳と威光。

 しかしフットボールの女神は気まぐれで意地悪。グループステージで同組に名を連ねるのは、ACミランとアヤックス。

 また「ミラノとアムステルダム」かよ!?ビール片手の嘆き節がアルプスに木霊する。

 結論から言えば今大会のファイナリスト2チームと同組になるとは不運としか言いようがない。アヤックス・アムステルダムは、グループステージでミランに連勝後、95年5月の決勝戦でも三度ミランを破り、“これから十年はアヤックスの天下”と絶賛された若き才能集団だった。

 しかしこの伝説のチームは、翌年のボスマン判決により砕け散る。その短い栄光の儚さが、より美しい記憶となり語り継がれるのだ。

 そして見逃してはいけない。当時史上最強と名を冠したオランダのクラブにも勝てない相手がいたことを。

 アヤックスとアウストリア・ザルツブルグとの対戦は、2試合を0-0、1-1のドローで終えている。第3と4節なので勝ち抜けを決めたアヤックスが手を抜いたわけでは断じてない。
 特にホームでは残り5分リトマネンのゴールによって、かろうじて引き分けに持ち込んだ印象が強い。2試合ドローで意地を見せたザルツブルグの健闘に各国から惜しみない拍手が贈られた。

赤い血を滾らせ白黒つけるピッチ上の激闘史

 そのアウストリア・ザルツブルグもまたボスマン判決以降時代の波にのまれ欧州の表舞台から降りる。

 2002-03年シーズン。イブラヒモビッチ、ファン・デル・ファールト、スナイデル、デ・ヨングなど新世代が台頭しアヤックスは再びCLで旋風を巻き起こす。

 この年の覇者ミランとの名勝負もまた今となっては伝説と言ってよいだろう。互いに赤を基調とするがミランは黒の縞、アヤックスは白地のユニフォーム。この三色が対峙する姿を観るだけで鳥肌が立つのはユースの試合でも変わらない。

 忘れられないのが2010年、ダフィ・クラーセンなる“ダイヤモンドの原石”との出会い。トップチームの監督に就任する前のフランク・デ・ブールも真剣な眼差しをおくる。

 昨年のCLグループステージではPSGのイブラヒモビッチとこのクラーセンが並んで入場した。その後小学生のクラーセンとアヤックス在籍時のイブラヒモビッチがユニフォーム姿でツーショットに収まる微笑ましい写真をネット上で目にする機会が増えた。