御蔵に収めていた原稿をリライトしての連載再開。ちなみに最終回まで残り五話
ビールやワインだけでなく毎日愛飲しているのが珈琲。写真はオランダ・・・否、欧州No1のメーカーのダウエグバーツ。世界各地を放浪し、一味違うなと印象に残っているのがインドネシアのコーヒー。洗練された欧米とは異なるが独特の味わいがある。
2016-17のUEFAコンペティションは前半を終了。チャンポンリーグでボコボコにされたクラブ・ブルージュ・サポーターの涙目を尻目に、ヨーロッパリーグでは、アンデルレヒト、RCゲンク、AAヘントが決勝トーナメントに駒を進めた。最終節で脱落したスタンダール・リエージュが加われば大会最大派閥になっており敗退は惜しまれる。アンデルレヒトがいきなりゼニト・サンクトペテルブルグと対戦。この難関を突破できれば上位に食い込む可能性は充分。そのアンデルレヒトの本拠地、ブリュッセルのコンスタン・ヴァンデン・シュタディオン。
第一話から登場した同国首都西部に位置するこの場所を初めて訪れた際に、約三十年前の試合が思い起こされ、感慨深くスタンドからピッチ眺めたのを覚えている。
1986年のメキシコワールドカップ、かつてNumberの頁を引用するまでもなくマラドーナの為の大会であったことを世界中のメディアが伝えていた。
ディエゴの前に並ぶ赤い悪魔の面々。ベスト4進出の快挙を、FIFAランク一位に躍り出た現代表が超えることができるのか?2018年のロシア大会にベルギー国民は期待を寄せる。
このメキシコ大会に2年後欧州を制するオランダ代表が出場していない。予選プレーオフで隣国のベルギーに敗れているのだがこの二試合は隣国対戦史の中でも屈指の激戦として両国民の脳裏に刻まれ今も尚語り継がれる。
1985年10月16日コンスタン・ヴァンデン・シュタディオンに乗り込んだオレンジ軍団は世代交代時期にあり若手を抜擢。ツートップはキーフト21歳とファンバステン20歳のアヤックスコンビ。中盤にも同年代のルート・フリットやロブ・デ・ヴィッツ。ディフェンダーにはフランク・ライカールトの名前も。
試合は開始5分を待たずして赤紙一発。相手を突き飛ばしたキーフトが退場。若さゆえの愚行を嘆いても後の祭り。
数的有利を活かしホームで1-0の勝利ならばベルギーとしては上出来。最後まで諦めることなくレオ・ベンハッカーは88分シモン・タハマタをピッチに送り出している。
この聞き慣れない名前が示すとおり1959年フュフトに生まれたとはいえ、のルーツはかつてのオランダ領に属したインドネシア。しかしこれだけ歴史的関係は深くてもインドネシア系でオランイェに選ばれた選手となると、後にも先にもタハマタしか浮かばない。現ベルギー代表のナインゴラン(ASローマ)もインドネシア系だが、このタハマタも後に(1990年)ベルギー国籍を取得している。1976年十代半ばでアヤックスの育成部門を経てトップデビュー。代表に招集されるままで9年間をアムステルダムで過ごしている。80年から4シーズンはスタンダール・リエージュでプレー。このメキシコ大会予選時は再び母国に戻っていたがかつてのライバル、フェイエノールトに在籍していた。
85年のプレーオフに話題を戻し第2戦11月20日の舞台はフェイエノールトの本拠地デ・カイプ。5万4000人の大観衆が詰めかける中、オランダはツートップを入れ替えて逆転を狙う。前半はスコアレス。均衡が破られたのは60分。更に12分後に逆転ゴールで熱狂に包まれる巨大な風呂桶。80分にはお役御免でタハマタもベンチに退くがフットボールの女神は驚くべきシナリオを用意していた。右サイド、フリーのエリック・ゲレツから送られた柔らかいクロスに頭であわせたのは途中出場のセンターバック。ジョルジュ・グルンの貴重なアウェーゴールで1-2と敗れたもののベルギーが本大会出場を決めた。
87年にベールショットに移籍したタハマタはゲルナミル・エケレンで96年に引退するまでベルギー国内でプレー。前述の国籍取得に至る。
引退後はスタンダール・リエージュで若年層の育成に取り組むタハマタ。1999年破産を理由にベールショットとエケレンが合併。現ゲルナミル・ベールショット・アントワープが誕生するのだがアヤックスが同クラブの株式の一部を取得して提携関係が始まる。
2000年豪州U23代表ジェイソン・クリナとコロンビア人MFダニエル・クルスを獲得したアヤックス翌年クリナ、2003年にはクルスをアントワープに軒並みレンタル。
一方ベールショットからトーマス・フェルマーレンがアムステルダムにやってきたのは2000年。当時のアヤックスユースを指揮していたのがオランイェを指揮する前のマルコ・ファン・バステンだった。2002年には当時15歳のベルギーU16代表トム・デ・ムル。
2001年アヤックスが南アフリカで発掘したDFアーロン・マクエナはゲルミナルにレンタルされた。その後ゲンクへ完全移籍し英国へと渡っている。
将来有望なベルギー人の若者を獲得しながら世界各地に張り巡らされたスカウト網にかかった異邦人は、アントワープへ貸し出して実戦の機会を与える。アヤックスはベルギーの小クラブに出資したこのパートナーシップは結果的にベルギー側が多くの恩恵に授かる。