欧州蹴球文化探訪 ベルギーの光と闇 第二十五話 対立の闇から協調の光へ

 2016年4月19日の朝目覚めるや否や、ニヨンのコロブレイ・スタジアムで前日開催されたUEFAユースリーグ決勝戦の結果をPCで確認する。PSGを下したチャルシーが連覇達成のニュース。オランダ王者アヤックス、更にベルギー王者アンデルレヒトを3-0で退けた勢い決勝でも衰えず。

 その翌々日、ベルギー文化センター館長のベルナルド・カトリッセ氏と3年ぶりに接見する。この連載は2010年のU17フューチャーカップでのRSCアンデルレヒトを観戦した追想から始まっており、アンデルレヒトが欧州王者で連載を締め括れれば文句なし。しかしそれ程甘くはなかった。ブリュッセル出身のカトリッセ館長にも吉報を伝えられず残念ではあるが、バルサを破っての四強入りはトップチームではまず考えられない大健闘であることには違いない。

 地元の若者を育てる各クラブに比べ、チャルシーは既にこの年代から世界選抜を形成しているのは如何なものか。
以前パルチザン・ベオグラードのパンテリッチを獲得したチェルシーがフィテッセへと貸し出した話題にふれたが、出番を与えられず
ロンドンに帰りたいと嘆いているらしい。帰るも何もベオグラードからアーネムへの直行ではあったのだが。

 彼以前でも数人が同ルートで移籍を実現しているが出場機会に恵まれたとは言い難い。それでもセルビアのクラブが次々と有望な若手をチェルシーに良い値で売却できるのは広報マネージャーが美人だからではない。セルビア人の代理人ヴラド・レミッチの手腕によるもの。セルビアとロンドンを結びつけているのは地図を開いて見た通りベルギーが中に入っているが、冗談ではなくレミッチが経営するVLスポーツ・コンサルティング社はベルギーのアントワープの東側近郊へーレントハウトにオフィスを構えている。

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 チェルシーのスカウト責任者でアブラモビッチの指南役、ピエト・デ・フィッセルは以前紹介したオランダの重鎮。80年代にはロマーリオ、90年代前半にはロナウドをアイントホーフェンに連れてきてベルギー人の二リスとエールディビジ史上最強のツートップを実現した人物。そのPSVに9年エリック・ゲレツが監督に就任する。そのゲレツが指揮したリールセSKでプレーしていたのがレミッチだった。引退後もレミッチは持ち前の交渉力で顧客を開拓。ゲレツとフィッセルにレリッチ、更には後にチェルシーのテクニカルディレクターを務めるフランク・アルネセンを含めて、PSVオフィス内での補強戦略会議は進められた。

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 写真は2008年のマッチデープログラム。表紙は当時国内史上最高額でヘーレンフェンからアヤックスへと移籍したミラレム・スレイマニ。セルビアの多くの同胞達がレミッチを代理人に新たなステージへと階段を駆け上がった。この七年前の試合では現ベルギー代表の二人も出場。ゲルナミル・ベールショットとの提携が終了して久しいが、昨年のUEFAユースリーグではベルギー人の姿を見かける。ネイサン・レイダー《1997年4月生まれ》。

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クラブブルージュの育成部門からズルテ・ワレヘムのU17を経てアヤックスのU17へ。上写真は少々古く少年の面影濃いが、昨年バルセロナで観たときは立派な顎鬚面に。

2016年4月22日のアイントホーフェン・デルビー。
エールステディビジ(ジュピラーリーグ)でヨングPSVとFCアイントホーフェンが対戦。言うまでもなく両クラブのフォーメーションは4-3-3。それにしてもアイントホーフェンの中盤3枚はすべてベルギー国籍。

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フリシュ・デシュヒルダー《1992年9月生まれ》は写真画像の通りクラブ・ブルージュの生え抜きとして将来を期待されていた。
今季オーステンデから加わったトム・ファン・イムシュハウトは34歳の大ベテラン。写真は2009年から5年間在籍したモンス時代。

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 ブリュッセル出身のトルコ系のアニル・コチは、1995年1月生まれ。U16代表まではベルギー代表。U17以降は同じ赤いウェア代表でもトルコ代表を選択した。アンデルレヒトからU19時代にスタンダールへ移籍。

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 この日両チームのスタメンを眺めると5人がベルギー人。