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欧州蹴球文化探訪 ベルギーの光と闇 第十八話 蘭独国境の街を駆けるベルギー人達

 川島永嗣が在籍していた2012年のスタンダール・リエージュを指揮していたのはロン・ヤンス。
 87-88年ローダJCケルクラーデから日本(JSL)のマツダに移籍し引退後フローニンゲンで辣腕を披露したオランダ人も、指揮官として国外初のチャレンジには慊焉たるものが心中に残った。

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 しかし母国のズウォレに戻るや否や、KNVBベーカーを獲得する見事な内弁慶ぶりで名誉挽回。過去(90年代後半)に似た様な事があった気がしてならない。当日デ·カイプのスタジアムで配布されたハリセン(張り扇)で自身の頭を軽く叩く。チャンバラトリオの顔は思い出せてもベーカー決勝の試合も監督も思い出せず、文明の力に頼るべく指先はキーボードに。

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【試合当日の朝刊にはヤンスとデブールのツーショット】

カップ戦の決勝は双方慎重になりロースコアの僅差決着になりやすいが、そこはオランダ。
96年のPSVがスパルタに5-2。そのPSVも98年のアヤックス戦でが0-5のこてんぱん。
そして97年5月8日ロッテルダム・デ・カイプで48000人が見守る中、ローダJCとヘ-ンフェーレンが対戦、スコアは4-2。終了のホイッスルがローダサポーターの歓声にかき消される瞬間ピッチに立っていた四人のベルギー人はいずれも新加入のプレーヤーだった。

 このシーズンからボスマン判決でEU内の枠が取り払われると、ベルギー人プレーヤーが、ワンランクレベルの高いオランダを目指した。代表的な流出先が、マルティン・ヨルが指揮を執るローダJC。
 KSKベーフェレンユース出身の元ベルギー代表、ステファン・ファンデル・ヘイデンをクラブ・ブルージュから、KVメケレンからはジャンP.マルティンスを獲得して中盤を補強。
 ツートップには後にベルギー代表にも招集される19歳のストライカー、ファン・ハウスを、北京五輪で日本代表を蹴落とすPKを決めたジェラルド・シボンの相棒に抜擢。この日4点目のゴールを決めたのはマルティン・スポーフス。

 それまでアマチュアクラブでの経験しかなかったマルティン・ヨルがシーズン途中(11月)からエールディビジのクラブを指揮していきなりの快挙を追想した。

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 ローダJCの名前が著明に脳内へ刻まれるのは2002年2月28日UEFAカップ、サンシーロでミランとのPK戦。翌年ビックイヤーを掲げるロッソネロを敵地で破った(PK戦は敗退)時のチームもベルギーU21代表のケビンV.デッセルの腕にキャプテンマークが巻かれていた。

 マルティン・ヨルは、既に〝欧州蹴球文化探訪〝で写真も二度程公開しているこの連載の常連さん。
 2011年の解任時、伝統的なアヤックス・スタイルとは異なる戦術に、クラブ関係者、サポーターから散々批判されていたヨル。しかし筆者は彼が指揮を執りスアレスがゴールを量産した2009-10シーズンのアヤックスも本来のアヤックスのスタイルにほど遠くても高く評価している。
 優勝皿はトウェンテに譲ったもののシーズン最終戦、フェイエノールトに連勝しベーカーを掲げたチームが記録した得点は、欧州王者、ペップ・バルサの数字をも凌ぎ、近年のオランダでは屈指の破壊力を誇示したのだから。