欧州蹴球文化探訪 ベルギーの光と闇 第十六話 プレミアに集いし新たな俊英

2012 u 17

 そして父親の名前を受け継いだ三男チャーリー。1996年生まれ。2013年10月15日のバースデーを待って、契約書にサイン。一昨年ベルギーU21代表にも招集されている俊英は、このウィンターブレイクでレアル・ベティスに移籍。2月13日のディポルティーボ戦でリーガ初得点も記録した。

 ピエト・デ・フィッセル。

 1960年代セミプロのクラブで指導者としてのキャリアをスタートさせ、1973年にはデ・フラースハップを一部に昇格させる。このチームの中盤に君臨し昇格へと牽引したのがチェルシーの新監督フ―ス・ヒディングであり、深い信頼関係で結ばれた師弟はヒディングが現役を退いてもPSVアイントホーフェンで再会を果たす。1976年にフィッセルは国境を越えブリュッセルのクラブ、RWDモレンビークに。第一話で悪の巣窟とされた地域に存在したクラブはシャルケ04やフェイエノールト、アスレティック・ビルバオを破りUEFAカップのベスト4へと駒を進める快進撃。輝かしい時代が過去にあった。

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 77年にクラブ・ブルージュ戦の大敗により解任されたフィセルは母国オランダに戻る。1992年NACブレダのコーチを58歳で任するまでオランダフットボールの現場で鋭気をふるう。シュタディオンから身を引いた後は、PSVアイントホーフェンのスカウトとしてヒディングをサポートした。

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 昨年自伝が発刊されたオランダの名伯楽は80年代にロマーリオ、90年代には怪物ロナウドが歩むブラジルからアイントホーフェンへの道を拓いた。
 
 リヌス・ミケルス賞を受賞した2005年よりチェルシーの顧問に名を連ね、指南役の知識と経験に基づいた助言にアブラモビッチが耳を傾ける貴賓席の映像は珍しくもない。2005年にチェルシーでの最初の仕事もオランダからのロッベンで獲得だったが、欧州の有望な若手を掻き集めるブルーズの現在は、この眼力から導かれたと言えよう。

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 今やクラブ、代表の「顔」となったエデン・アザール以外にもロメル・ルカク、ケヴィン・デ・ブルイネとベルギーから才能を集積しながら二人は出場の機会を得られず売却された。

 ブルイネは今季、プレミアリーガーとして査定額に相応しい存在価値を実証している。シティの顔ヴァンサン・コンパニ、そして四人目のベルギー人としてチャーリー獲得に動いた。ではもう一人は誰なのか。アンデルレヒト出身のマティアス・ボッサルツ(1996年7月生まれ)を忘れてはならない。

15) MATHIAS BOSSAERTS