ショパンの旋律が哀しく聞こえるのはポーランドの歴史と無意識に重ねてしまうからか。首都ワルシャワと第二の都市クラクフが南北国境に偏り、ほぼ中央に位置するのはキェルツェ。その名は第二次終戦直後、1946年の惨劇で広く知られる。当時のポーランドではポグロムの嵐が吹き荒れていた。
ポグロムとはユダヤ人に対する反ユダヤ主義者の集団的な暴力行為。 ポーランド人の暴徒により、死者は40人以上、多数の負傷者を出した闇の歴史を背負う街も現在は日々穏やか。市民は平和を満喫しており筆者も昼間から麦種で喉を潤す。
この街にクラブチームが創設されたのは1973年。2002年の買収劇で財務が潤うと2003-04年に三部、翌04-05年二部と優勝・昇格と躍進は止まることなく05-06年には一部リーグで5位。カップ戦も準決勝まで快進撃、ワルシャワ、クラクフの名門クラブに迫る勢いを見せた。
近年は中位以下が指定席となってはいても、本拠地のスタディオン・ミェイスキ・キェルツェの設備は、プレス席の座り心地も含め総じて悪くは無い。
2012-13シーズンには元ポーランド代表のエースストライカー、マルチン・ジェヴワコフのような大物も加入した。日本人では柏ユース出身の齋藤誠司が在籍している。
マルチンの双子の兄、ミハイウも長気に渡りポーランド代表の左サイドバック支えた名選手。一卵性双子の代表選手で真っ先に思いつくのは現アヤックス監督のフランクとロナウドのデ・ブール。同じ顔に同じ才能となれば一人がフォワードでもう片方はディフェンダーに収まるのが必然なのか。
1976年、ワルシャワで生まれた兄弟が国外に移籍したのは22歳のシーズン、第5~6話で紹介したKSKベフェレンへ。2013年に揃ってスパイクを脱ぐまでのキャリアにおいて最も長い時間を過ごしたのがベルギーだった。
99年から2002年までの3シーズンはエクセシオール・ムスクロンでプレー。2001-02シーズンのベルギーカップ、決勝進出にも貢献した。
ワロン地域エノー州のクラブについて、第二話でシャルルロワの健闘とモンスの破産消滅にふれている。同州のムスクロンも2008-09シーズンのウィンターブレーク時、クラブは倒産を発表し所属選手は自由契約に。1964年の創立したクラブは歴史の幕を閉じるが、ロイヤル・ラシン・クラブ・ペルウェルツに吸収され、現在のロイヤル・ムスクロン・ペルウェルツへと伝統は引き継がれる。
ジェヴワコフ兄弟は2000年2月23日のフランス戦で共に代表のピッチに立つと日韓共催のワールドカップにも揃って出場しており、当時のプログラムでツインズの存在を知った。