欧州蹴球文化探訪 ベルギーの光と闇 第十四話  ヘイゼルの悲劇

 前々話で追想した2009-2010シーズンUEFAヨーロッパリーグ、スタンダールリエージュがパナシナイコスを破ってのベスト8進出。前線のシセ、中盤の底で舵を取るジウベルト・シウバ、ビッグネーム二人に挟まれた位置でギリシャ人にしては珍しい小柄な技巧派ソティリス・ニニスが持ち味を存分に発揮した。

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 1回戦ローマを退けた殊勲者はこの年20歳の若さでA代表に招集され南アフリカへ。

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【ローマ戦】

 ニニスは2008-09戦のUEFAカップ、シャルルロワ戦での活躍から既に欧州各クラブから注目されてはいたが、そのシャルルロワへの移籍が今月発表された。またライバルのオリンピアコスからはリオ五輪世代のナイジェリア人ストライカー、マイケル・オライタン(1993年1月1日生まれ)がコルトレイクに。ギリシャスーパーリーグの衰退によりベルギーへの人材流出に拍車がかかるのか。

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【手前から二人目29番が昨年のニニス】

 前話にてJリーグ開幕(1993年)も“おっさん”にはそれ程昔ではないと述べた。

 UEFAは過去5年間のコンペティションの実績から国別の枠を毎年選定する。日本にプロリーグが発足されワールドクラスの移籍が相次いだ1993-94シーズンから5年間は、欧州各国リーグの勢力図にも大きな変動が見受けられる。W杯・フランス大会終了直後の98-99シーズン。当時チャンピオンズリーグ出場クラブ数は24。上位8カ国までは国内2位のクラブにも予選への出場資格を有し、プレミア2位のマンチェスターユナイテッドが予選でポーランド王者LSKウージを破り頂点まで駆け上がる。俗に言う「カンプノウの奇跡」

 80年代前半までのイングランドのクラブは9年間で7回欧州制覇の偉業。技術ではなくフィジカルと勝利への執念で他国を圧倒した。83-84年のリヴァプール以来15年ぶりにフットボール発祥国へビックイヤーが帰ってきた。

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【騎乗から監視するロッテルダムの婦人警官】

 サンドニが同時多発テロで混乱する同時刻、イタリアとベルギー代表の親善試合開始前、同会場で30年前に起きた「ヘイゼルの悲劇」を追悼するセレモニーが行われている。
《ベルギーの闇》と聞いてフットボール狂のおっさん達がまず頭に思い描くのは「ヘイゼルの悲劇」である。ブリュッセルの現ボードウィン王立競技場は85年までヘイゼルスタジアムと称され、この年はリヴァプールーユヴェントスが欧州一の栄誉を賭けて対峙した。