第32景は聖地ウェンブリー。言わずと知れた世界最大の屋根付蹴球場である。旧年は酉年。仇敵アーセナルの順位を上回りスパーズのファン・サポーターは、22年間溜まりに溜まった溜飲を下げた。17-18シーズンも好調、プレミアではロンドン勢最上位の四位をキープ、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)も最終節を迎える前にグループステージを余裕でクリアしたのだから大満足で年を越せたはず。
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年明けユヴェントスの前に涙を飲んだが今大会屈指の名勝負。それにしてもこの後、ローマVSバルサ、ユヴェントスVSレアルと名勝負の連鎖には驚きを隠せず。
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成美さんが持っているフラッグ。実はプリントされているトッテナムのエンブレムが雄鶏だと最近まで知らなかった。きっとロンドンには磐田でジュビロ君のモデルになった三光鳥のような野鳥が生息していたんだろうと勝手に決めつけていたのである。果たして・・・これがニワトリに見える読者・ユーザーがどれほどいるものか。
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消火試合になってしまったとはいえ、この旗を振ったサポーターで大賑わい。ガラス張りの壁面におなじみのシンボルロゴが投影されるのを見ると感無量。
実はこのニューウェンブリーが完成した際、重ねた歴史と伝統が威厳を醸すツインタワーが取り壊されたと聞いて愕然とした。実際ロンドンでもツインタワーを別の場所に移せないかと、議論されたとか。旧ウェンブリーの着工は1922年だが、このツインタワーは1889年の大英博覧会のために建造されている。辛うじて旧ウェンブリーの面影を残すのが1966年世界を制した代表チームの主将ボビー・ムーアの銅像とあって、記念撮影に興じるファンも多い。
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筆者だけでなく多くの日本人ファンがウェンブリーの存在を身近に捕らえたのはJリーグ開幕を控えた1992年。欧州王者は年末に来日することが慣わしだった当時、クライフ率いるバルセロナが欧州を初めて制覇した会場として、脳裏に刻まれたから。
また1995年には日本代表がイングランド代表と対戦したアンブロカップ。一度は同点に追いつかれ本気モードのスリーライオンズ。頭に包帯を巻いた中山雅史の雄姿も回想すれば郷愁を感じる。
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それが、近代的で無国籍なデザインになってしまったのは誠に残念。それもそのはずデザイン・設計を担当したのは、米国カンサスシティに本社を構えるポピュラス。
1983年HOKのスポーツ専門の設計・建築部門が設けられ英国のロンドンと豪州のブリスベンを拠点に国外へも進出。これまで野球のメジャーリーグやNFLで使用される多くのスタジアムを手掛けた。サッカー場ならば現在、世界にふたつある日産スタジアムの、もうひとつのほう、2017年のCONCACAFゴールドカップの公式戦が行われたテネシー州ナッシュビルの日産スタジアムは同社デザイン。またアーセナルのエミレーツに、ウエストハムの五輪スタジアムと、ロンドンの巨大蹴球場は漏れなくポピュラスの作品。
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さてウェンブリーに来た以上、まずはコレを撮影しなくてどうすると、レンズを向けたのはコレ。ツインタワーに代わる象徴、それは41個のリングが、まるで天に架かる虹を連想させるアーチ。これこそ大揉めの新国立競技場デザイン騒動のおかげで、建築にまったく興味のない方まで知ることになった「キールアーチ」。ここまで巨大な建物でこの構造が可能なのかと素人でも疑問に思うが、アーチが屋根を上から支えており、唯のモニュメントではないと聞かされれば納得してしまう。
実は、当初新国立競技場のコンペで故サハのデザインに次ぐ評価を受けたがオリジナリティに欠けるという理由で涙を飲んだ豪州のコックス建築設計事務所の案。フィールドを上げ底にすることで、陸上トラックを仮設できる多種目対応型だったが、これはウェンブリーのパクリ・・・もとい同様のアイディア。個人的にはこちらのデザインに一票を投じたかったのだが。
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