ぷら~り欧州蹴球場百景【8】グリフィン・パーク / ロンドン

 ロンドン西部フラム出身の俳優ダニエル・ラドクリフが7月に28歳誕生日を迎えた。スクリーンに喰いつき心を躍らせ「ホグワーツ魔法魔術学校のグリフィンドールに入寮したい」と夢見た世界中の子供達も皆、成人している。花園ななせくんもその一人。取りあえずハリー・・・よりも『キル・ユア・ダーリン』を意識して眼鏡をかけてもらった。

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 今春のロンドン滞在時グリフィンドールには行っていないが、グリフィンオールの実物は見て来た。ロンドンのチズウィックにあるGriffin Brewery=グリフィン醸造所。その起源は17世紀。ジョン・バード・フラーとヘンリー・スミス、ジョン・ターナーが受け継いだ「フラーズ社」の創業は1845年。同社のロゴは金色のグリフィン。上半身がワシで下半身がライオンという伝説の生き物はシティオブロンドンの紋章でも有名だ。

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 第八景は ロンドン西部、ブレントフォードFCの本拠地グリフィンパーク。1904年9月1日にオープン。名前の由来となったのはスタジアムの目の前にある醸造所直営のパブ。ここがドレッシングルームとして使われていたのも遥か昔。今は本場のフットボール狂達でにぎわっていた。フィールドに入るとピッチコンディションは上々。専門家を招いての管理される芝は二部レベルではなかなかお目にかかれない上物。

11月14日ワールドカップ予選欧州プレーオフの壮絶な幕切れ。アウェーをスコアレスドローで乗り切り、ホームでは開始6分に先制ゴール、アイルランド国民が熱狂しデンマークサポーターが落胆。しかし終了のホイッスルが鳴るとスコアボードは1-5の表記。クリスティアン・エリクセンがハットトリック達成の千両役者ぶり。

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 センターバックのアンドレアス・ビェランは予選6試合にフル出場、予選突破に貢献した。

2017年5月7日チャンピオンシップ最終節。グリフィンパークには多くのブラックヴァーンサポーターも駆けつけ12000人と大盛況。
3日後にモンテネグロとの公式戦を控えている為、出場は見送らるかと半ばあきらめていた最終節、一年間の声援に感謝し残り25分、背番号5がピッチに登場した。

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 この日のスタメンには、もう一人のデンマーク人、ラッセ・ヴィベが1トップを務め、1ゴールを記録した。負傷で出場機会はなかったが、昨年のキリンカップにも来日していたはず。

U-20デンマーク代表の黒人ストライカー、ジャスティン・シャイブも含め、デンマーク勢が増える傾向は、オーナーがデンマークの強豪ミッティランを所有していることが影響しているのかもしれない。

かつて茅場町には山一証券の本社ビルがあった。戦後最大の証券会社が廃業して既に20年が経過する。数学理論をフットボール界に持ち込み、プロギャンブラーとして巨額の富を手に入れたスマートオッズ社のマシュー・ベナム。1989年名門オックスフォード大学を卒業した彼が、就職したのは山一證券のロンドン現地法人、ヤマイチインターナショナルだった。当時から先見の明に優れていたのかもしれない。

2006年にはコミュニティ組織のビーズ・ユナイテッド(BU)がクラブを買収。ビーズ=蜂のマスコットはかなり微妙な気もするが地域の子供達には意外にも人気がある様子。

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 この年FAのコミュニティ・クラブ・オブ・ザ・イヤー翌2007年にはサッカーリーグベストクラブスポンサーシップを受賞。新たなクラブ運営システム、画期的なコミュニティ・モデルとして注目された。元オーナーのロン・ノアデスとバークレイズ銀行への負債を無利息で補填したのがベナムである。

ブレントフォードFCは1989年創立、ロンドン西部と聞けば高級住宅街を想像されるだろうが、テムズ川を南側に越えると、そこは工場だらけの労働者階級層のエリア。

現在のブレントフォードFCは、サポ―ター組織のBU、コミュニティスポーツトラスト、地元の商工会議所(Brentford Chamber of Commerce)の三本の柱によって支えられている。慈善団体のコミュニティスポーツトラストは年間、6,000件以上の指導、教育、メンタリングセッションを実施し学習、健康、およびフィットネスの機会を地域住民に提供している。