ぷら~り欧州蹴球場百景【3】MSVアレーナ/デュイスブルグ

 前々回(一景)はエル・ガジのパフォーマンスに涙したリールのピエール・スタッド・モロウ。そのエル・ガジを冬の移籍市場で放出しても昨季UEFAヨーロッパリーグで銀メダル獲得、手腕を買われピーター・ボス監督は、ボルシア・ドルトムントへ。
ななせさんが握っているのは今夏の浦和レッズと対戦する為来日した際、羽田空港で配分された来日歓迎うちわ。「可愛いですね」と言われるまで、ハート型の形状に気づかなかった。女の子はカワイイに敏感だがおじさんは疎いと自覚する。

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 そういえば前回取り上げた2015年5月30日のDFBポカール決勝戦。緑のハートの中にマランダの背番号「19」が白抜きされたデザインの追悼ロゴ。このユニフォームがヴォルフスブルグを戴冠へと導いた。
浦和レッズからヴォルフスブルグに長谷部誠が移籍した2008-09シーズン。アウェーの開幕戦は後半からの途中出場で独デビュー。ホームでの第二節は先発フル出場。2-1の逆転勝利に貢献した。
但し・・・・対戦相手はMSV Duisburg? 胸のエンブレムがシマウマ?(ライオンとかマスコットのチームに勝てないだろ?)・・・何処の州にあるのかさえ知らなかったのが九年前。

 ノルドライン・ヴェストフォーレン州の北部、俗に言うルール地域でドルトムントの人口が最も多く58万人、エッセンもほぼ同規模、少し劣るデュイスブルグも50万都市。欧州でも屈指の人口密集地域となる。ドルトムントで58万人なら、足立区や江戸川区と同規模、うっし~人気で知られるようになったシャルケ04のホーム、ゲルゼンキルヒェンは墨田区とほぼ同数・・・東京下町在住者にしか伝わらなくてよい。
2010年の欧州文化首都に選ばれるとルール地域ではかつての工場を文化施設として再生するプロジェクトが始動する。それ以前にも、2002年ルール・トリエンナーレ(芸術祭)がデュイスブルグ、ボーフムやエッセンを中心に開催されていたが、ドルトムントは盛り上がりに欠けていた気がする。

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 デュイスブルグ市北部のマイデリッヒ地区とハムボルン地区の間にあるテュッセン製鉄所は、廃業後自然とイルミネーション・アートがを楽しめるテーマパークに様変わりした。このLandschaftspark(ランドシャフトパーク)は今やケルン大聖堂と並び、ノルトライン・ヴェストファーレン州を代表する観光の目玉である。街の象徴は1993年に完成したファウンテン・ライフセイバー(上写真)。スイスの巨匠ティンゲリー作、黒い立体に、ニキ・ド・サンファールの色鮮やかな作品が乗った夫婦合作。それにしてもファッション・モデル時代のサンファールは美しい。ななせさんが持っているコピーは1949年LIFE誌の表紙撮影時、当時19歳。

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 写真は中央駅北西部にある旧市庁舎と教会。欧州の都市で旧市街があれば取りあえず立ち寄るべき。一方南部にあるのが現在の庁舎。その北側200ヘクタールの広大な運動公園。名称はSportSchule・Wedau。初代チェアマンの川淵三郎氏が現役時代、東京五輪前の代表合宿で同市を訪問した際、驚かされた施設環境は今も健在。1977年10月22日。この街の旧スタジアムで行われた1FCケルン戦。奥寺康彦氏が日本人として初めて歴史に足跡を刻んだウェダウ・シュタディオンは、2003年からの大規模な改築でMSVアレーナとして生まれ変わったのが2005年。

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 今季ブンデス二部へ昇格したMSV。2013年の財政破綻で三部に沈んでいた為、日本人ブンデスリーガ―時代到来にも関わらず、このスタジアムのピッチを踏んだ日本人選手は数少ない。2012-13シーズン、ボーフム在籍時の田坂祐介(現川崎フロンターレ)ぐらいではないだろうか。2012年9月23日第6節、この日田坂は右サイドハーフのスタメン。60分途中交代している。

 石原 卓が1.FCザールブリュッケン在籍の2014年3月MSV戦に途中出場しているがホームゲーム。
本年9月29日 MSVアレーナ、ウニオン・ベルリンを迎えての第12節。残念ながら負傷欠場で内田人は遠征メンバーに含まれておらず。ザンクト・パウリ所属の宮市亮右ひざ前十字じん帯を断裂、となると次にこのピッチを踏むのはフォルタナ・デュッセルドルフの宇佐美あたりが有力。インゴルシュタットの関根貴大や渡辺凌磨にもチャンスはあるはず。渡辺凌磨について二年前⇒に書いているだけに期待も膨らむ。

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