ぷら~り欧州蹴球場百景【93】 フレシエル・スタディオン / ベフェレン

1月19日リーグアンデビュー以降30節のPSG戦までフルタイム出場を続ける日本代表昌子源。勝ち星には恵まれないが、身体能力の高いフォワードとの連戦は充実感を得られるだろう。但し3月3日のオリンピック·リヨン戦の5失点には苦笑せざるを得ない。4点目はムサ·デンベレとの一対一で完全に振り切られてしまった。翌日レキップ紙の採点も3。この試合トゥールーズの主将がGradel? ・・・・あのマックス·グラデルか。

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先週【91景】で取り上げたイタリアの人種差別問題。4月2日のカリアリ選ではユヴェントスのモイゼ・ケアンが標的とされた。この件に関してコメントしたヤヤ·トゥレの矛先はFIFAやUEFAに向けられた。ギリシャのオリンピアコスを昨年末で退団し無所属。引退宣言はしていないはずと思っていたところで、マイクを向けられた映像が世界に発信されたことに驚く。

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三年前に寄稿した「欧州蹴球文化探訪 ベルギーの光と闇 第五/六話 W.ベフェレンの生きる道(前·後編)」。2004年5月23日ブリュッセルのボードウアン国王競技場の歴史的なカップ戦ファイナルを回想している。画像クリックで前編へ↓


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Jリーグが外国人枠を変更したとことろで、天皇杯の決勝のピッチにベトナム人10人のチームが立つことは、まず有り得ない。しかしこの試合、10人のコートジボワール人と一人のラトビア人がベフェレンのスタメンに名を連ねた。
ところで、この当時、コートジボワールからベルギーへ流出した原石をすべてベフェレンが独占していたわけではない。

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2004年準決勝、フレシエル・スタディオンでの第二戦はスコアレスドロー、アウェーゴール差でアンデルレヒトを退けているが、アルナ·ディンダンがスタメン出場。
2003年11月29日14節では、ヤヤ·トゥレと、ヘンクのディディエ・ゾコラが中盤で激しく主導権を争う。20節で対戦したロケレンの最終ラインにはクリバリとドバ。現在日本人対決頻発のジュピラー·プロリーグも、15年前ならばコートジボワール人対決が只事。

第93景はベルギー、オースト=フランデレン州ベフェレンにあるフレシエル・スタディオン。最後に改修されたのは2008年。

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2004年6月、W杯ドイツ大会予選カメルーン戦レ·エレファンツ(コートジボワール代表の愛称)に招集されたメンバーにベルギーのクラブ在籍者は6人。クリバリ、ドバ(ロケレン)ゾコラ(ヘンク)ディンダン(アンデルレヒト)にKSKベフェレンから ブバカル・バリーとマルコ・ネ。ヤヤ·トゥレは年明けからウクライナでプレーしていた。

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同国を初のw杯出場に導いたのはフランスの名称アンリ·ミシェル。