Foot ball Drunker〔44〕 visiting 『 Ivan Laljak-Ivić Stadium 』ザプレシッチ / クロアチア

ヘタレの国王とビールとサイドを疾走するトミスラヴ

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前回に続いてのイヴァン·ラリャク·イヴィッチ:Ivan Laljak-Ivić Stadium。訪問したのは2017年12月8日HNKチバリア·ヴィンコヴツィ戦。金曜のナイトゲームに観衆僅か120人程度のスタンド写真は前回既に掲載している。

クロアチアを代表する麦酒銘柄とACミラン対リエカ戦を報じる新聞紙面。クロアチア人は男の子には中世クロアチア国王の名前を付けたいらしく、この日のスタメンには両チームともトミスラヴの名前が並ぶ。ザプレシッチの16番、左サイドバックはトミスラヴ·ハラムステク:Tomislav【1993年7月17日生】。


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前回のテーマ、クロアチアとイタリアの結びつきを紐解く中で欠かせない人物がイタリア王国トリノ出身のトミスラヴ2世。第二次大戦中で、ドイツ・イタリア軍がユーゴスラビアに侵攻した際、傀儡国家クロアチア独立国を創設した。しかしイタリアが白旗をあげて呆気なく消滅。短い間ではあるが独立国は存在し日独伊三国軍事同盟にはクロアチアも含まれていた。最もこの2世は、ヘタレで結局フィレンツェに引き籠り動こうとはしなかったのだが。


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歳月は流れヨーロッパ共同体=ECによって、ユーゴスラビアからの独立を承認されたのは1992年1月15日。都内に駐日クロアチア大使館が開設したのは、Jリーグ開幕と同じく1993年。本年で30周年を迎える。

同年11月国連平和維持活動⁼PKOの最高責任者に任命された明石康:Yasushi Akashi【1931年1月19日生】氏。ザグレブの国連防護軍本部で1995年11月の撤退まで職務を全うする。その後紛争終結に向けて北大西洋条約機構(NATO)率いる多国籍軍が主導権を握る展開。セルビアを悪者にしたいアメリカが、中立はセルビア寄りと国連批判。それでも欧米西側大国相手にも屈することなく国連の掲げる人道·中立·公平を最後まで貫き、証明した功績は小さくない。

フルボイェ・カレ:Hrvoje Cale【1985年3月4日生】がスパイクを脱いだのは2017年。ザプレシッチへ12年ぶりに戻ったカレのラストゲームは同年4月26日のHNKチバリア戦。この日の記録は200人に満たない観衆。余りにも切ない観客数が国内リーグの峻厳な現実を物語る。

120人の観客が手に汗握る厳寒での熱戦

それから8ヵ月、前節首位ディナモとの試合は80分過ぎまでスコアレス。貴重な勝ち点1をアウェーで獲得できるかもと思われたが、その期待を木端微塵に砕いたのは若き日のスペイン代表ダニ·オルモ:Dani Olmo【1998年5月7日生】。 黒星でも順位は5位をキープはしていたザプレシッチ。


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開始直後にホームチームが先制。一方赤のユニフォーム、前節ロコモティヴァ戦でもゴール決めており勝利に貢献したIvan Galic【1995年1月9日生まれ】が、前半アディショナルタイムにこの日2点目。アウェーチームが逆転に成功する。