Foot ball Drunker〔4〕 visiting 『Estádio D. Afonso Henriques』ギマラインス/ポルトガル

リヤドの衝撃 新生日本の船出は0-3完敗

目前に迫ったドイツ戦。カタールでの雪辱に燃える同国の本気度が招集された顔ぶれからもうかがえる。敵地での開催は森保ジャパンに有難い話ではあるが気になるのは親善試合の四文字。

前回羅列したナイジェリア人にはA代表の常連も。日本代表がスーパーイーグルスと対戦して深く記憶に刻まれたのは1995年年明けのリヤド・キングファハドスタジアム。木っ端微塵に粉砕された加茂ジャパン初戦のスコアは0-3。97年10月カザフスタンでの“電撃”解任までの2年10か月。当時は非常に長く感じたが今振り返ると意外に短い期間。


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複眼を得るポルトとリスボンの風景。しかし初代国王アフォンソ1世ゆかりの地ギマラインスの石畳も渋く趣きがある。
スタジアムの前でも目にしたのがアフォンソの雄姿。たしか地元の方が「白黒は肌の色を表していて、差別撲滅と共存を象徴しているんだ。」説明してくれた高尚なエンブレムの由縁は本当か。


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第4話はヴィトーリアSCの本拠地エスタディオ・D・アフォンソ・エンリケス。この試合は、ピッチサイドではなくプレス席で観戦。


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現在FCバルセロナでプレーするブラジル代表ハフィーニャ【Raphinha 1996年12月14日】も初々しい。


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試合後の記者会見ではジョゼ・ぺセイロ:José Peseiro【1960年4月4日生】にレンズを向けた。僅か3か月、10試合のみで残留の任務は完了。国内では強豪クラブを渡り歩いたがタイトルはブラガでのリーガ杯のみ。
サウジアラビアでアルヒラルは半年で解任。予選突破に黄色信号点燈のFIFAワールド杯南アフリカ大会アジア予選。サウジアラビア代表に招かれても救世主とはならなかった。

四大陸を股にかけるポルトガル人監督

正直このぺセイロ監督の力量には疑問符がつくのだが、現在はナイジェリア代表監督を務める。南米ベネズエラに続きナショナルチームはこれで三度目だから輝かしい経歴の持ち主。
ベネズエラ就任時は、副会長がホルへ・サンパオリ:Jorge Sampaoli氏【1960年3月13日生】と交渉中に、休職していた会長がぺセイロ就任を発表。同国協会の内紛が明るみに晒されるお粗末。