欧州蹴球文化探訪 第十六の巻 エネルギー問題とフットボールの方程式

ジリナの駅にて●●野郎と叫ぶ。異邦人に厳しいアウェーの洗礼。ポーランドからスロバキアを経て、オーストリアに移動する間に荷物をごっそり紛失(盗難)した記憶も生々しい入魂の一筆。

ガスプロム帝国のプロバガンダ

 昨秋、東京世田谷美術館でロシア・アヴァンギャルドポスター展に足を運んだ。前巻登場したレッドスター・ベオグラードの紅白縦縞ユニフォームの胸にはGの文字に火が灯るガスプロムのロゴ。内田篤人やクラウス・ヤン・フンテラールが所属するシャルケも同デザインのロゴ。
 この半国営巨大企業のミレル社長が「ロシア産ガスの大量消費国ドイツは、ナンバー1のマーケット 」と言葉にしているので納得。勿論ゼニト・サンクトペテルブルグの胸でPRされているのは言わずもがな。レプリカ購入意欲をそそる洗練されたデザインはこのロゴデザインありき。
 ポスター等プロバガンダアートで一世を風靡したロシアの実力は今も侮れない。


[ペトロフスキー・スタジアムの掲示板に表示されたロゴ]

ロシアでプレーするスロバキア人ディフェンダー

 14ー15シーズンのロシアプレミアリーグ。ゼニトからスロバキア代表にトーマシュ・フボチャン、オリンピックマルセイユからマテュー ヴァルビュエナが移籍し、ヨーロッパリーグ出場権を獲得したはずのディナモ・モスクワ。
 ところがクラブ・ファイナンシャル・コントロール機関(CFCB)の調査により、収支均衡要件を満たせなかったとして同クラブは裁定部門に付託された。この収支均衡規則では、収入以上の支出を繰り返してはならないと定められている。
 今季ディナモはUEFAのコンペティションへの出場権を失った。

 フボチャンのプレーを初めて目視したのは2012年5月30日オランダ代表との親善試合。ヴァイス監督のもと2010年W杯では好成績を収めたスロバキア代表だったが彼はベンチを温めたまま大会を終えて帰国。目前に迫ったユーロ2012ポーランドウクライナ大会の切符も逃してしまった。
 フボチャンはスロバキア ジリナ県ジリナ市の出身。MSKジリナは同国を代表する強豪クラブとして知られる。ユースから昇格し国内制覇に貢献。07年には代表にも招集され、ゼニトへと着実にステップアップしたのが2008年。当時の監督はオランダ人のディック・アドフォカート。

 かつてヴェネツィアを指揮した無名のイタリア人監督は、ローマで成功を収め偉大な戦術家として北のヴェネツィアに降り立つ。
 ルチアーノ スパレッティ。伝統のカテナチオ、得点はフォワードの個人能力に依存するスタイルから脱却できない他チームを余所目にゼロトップを考案。後にバルセロナも改良したプロトタイプだが、奇策としては1995年5月CL決勝でファンハールが用いてフットボール戦術史に誕生したと記憶する。そしてゼロトップは、シーズンを通してスパレッティのスキンヘッドの中で昇華された。
 2009年スパレッティはゼニトにも組織戦術を注入。CBと両サイドもこなすが便利屋に収まっていたフボチャンは左の定位置を確保した。
 再び目にした2013年チャンピオンズリーググループステージで、ゼニトのユニフォーム姿も見納めとなった。スパレッティからビアス・ボアスに指揮官は変わりフボチャンも、東の首都へ。
 ブラジル大会も予選落ちの憂き目にあった代表はユーロ初出場に向け再発進する。2014年に9月、アウェーのウクライナに完封勝ち。10月ホームでのスペイン戦、87分のゴールで前大会王者に引導を渡した。現時点で予選グループ首位をキープする代表チームの左サイドバックに背番号15が定着した。