サッカーキング・オピニオン【2015年9月9日UP】
本年5月27日ポーランドの首都ワルシャワで催されたUEFAヨーロッパリーグファイナル。UEFAテクニカル・オブザーバーズの一人としてコーチングアンバサダーの肩書を持つアレックスファーガソンが姿を現した瞬間に2011年チャンピオンズリーグGSでの早期脱落時彼が発した言葉と、プラティニが敏感に反応したことが思い出された。
この日UEFAヨーロッパリーグ優勝者として翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグへの出場クラブが決定する初舞台に、三年前「ヨーロッパリーグを罰ゲーム」呼ばわりしたファーガソンが立ち会う状況は偶然か、それとも必然なのか。
筆者が少年サッカーの指導時、子供が喧嘩になっても頭ごなしに叱らないことにしている。喧嘩をすることは「悪」ではない。対処法はまず笑顔で互いの意見を公正な第三者として聞くこと。何故先に手を出したのか、何故その言葉で傷ついたのか、感情を相互理解して納得するまで同じ目線で聞く。目の前にいる相手の子どもではなく指導者である自分に心の中をぶつけさせる。
子供の話を聞くときは必ず自分が腰を落として見下さないことを心がける。小学校の中学年程度であれば、ほぼ収まる。
仮に話し合いで納得できない子供。つまり「本人同士がどうしても喧嘩したい」のであれば止めない。ただし「今はサッカーの時間、サッカーの練習をする場所なので終了してから公園かどこか俺の見てない所でやってくれ」と突き放す。
日本人は口論することをめんどくさがる。長いモノにまかれたがる。心の中で思っていても「和」を乱すのは良くないと自分を納得させ抑えつけてしまう。目先の穏やかな平和が大好きな国民性である。だから問題点が永遠に隠されたまま有耶無耶になる。
プレミアリーグのハードスケジュールをこなすスコットランド人監督の発言に欧州の協会を束ねるフランス人が警告を促した。これを双方大人気ないとみるのは日本の文化(?)。
UEFAがヨーロッパリーグの権威を高める施策に取り組んだのは、多少なりともファーガソンの発言が影響しているというのはあくまで筆者の想像である。・・・しかし改善や発展への動因となるのであれば「喧嘩」は多いにするべきではないのか。(了)