欧州蹴球文化探訪 第三の巻 イベリア半島西部の碧い空

ディエゴ・フォルランが帰郷した。セレッソサポーターの方々には申し訳ないが、彼にはマンチェスターの空も、ミラノの空も、そして大阪の空も似合わなかった。代表のユニフォームを更に色濃くしたようなイベリアの空がディエゴにはあまりに似合い過ぎていたから。

レアル以上の強敵出現。それはマドリード市の4階建て禁止法

日本人の黒い瞳ですらサングラスが欠かせない程の碧い空と海がテラコッタの街並みをより際立たせる。情熱漲るスペインと哀愁漂うポルトガルが共存するイベリア半島。独立問題により中央政府と対立する北東部のカタルーニャ自治州に比べれば、首都マドリードからポルトガル国内各都市までの距離は目と鼻の先である。美観を維持する為、建築物の高さに制限を設ける条例はさほど珍しくないが、2007年州議会(政府)の新法案可決に対して当時左翼連合ら反対派が違憲じゃねえかと訴え、中央政府の大臣とも対立した騒ぎが、フットボール界にも飛び火したのは本年4月。ダービーでのチャンピオンズリーグ(CL)敗戦に追い討ちをかけるような高等裁判所の判決が、アトレティコ・マドリーに下された。長く本拠地として使用してきたビセンテ・カルデロンを取り壊して、高層ビルを複数建造する計画に赤信号が点ったのは、法律で地上4階建て以上の高さでの新築が禁止されているからだという。

ビセンテ・カルデロンのスタンド

しかし再開発の収入資金をあてにして既に新スタジアム計画は進行しているのだからクラブ関係者も頭を抱えているに違いない。3階建三世代住宅までしか許されないのであれば磯野家は現状OKだが、将来タラちゃん夫妻の子供は別棟となってしまうのか?

もっとも波平が存命とも思えないし・・と日曜の夕暮れに磯野家の未来を憂う。

四時の序、功を成す者はウルグァイに去る

フォルランといえば2008-2009シーズンには、33試合で32ゴールの驚異的な記録を樹立している。

このシーズンから、アヤックスのルイス・スアレスのプレーに魅せられたことも重なりウルグァイ代表へと傾倒するのだが、彼の話題はまた別の機会にしたい。

カルデロンの近所の壁面はフォルランをはじめ選手のポスターで埋め尽くされ、その下にはリーガとCL決勝トーナメント1回戦FCポルト戦のポスター。

ポスター

この写真を撮影したのはたしか試合から1か月を経過していた頃。フォルランのゴールで勝ち越していながら72分同点ゴールを奪われアウェイゴールの差でアトレティコは敗退。観ている側にすれば最もスリルに溢れCLの醍醐味を楽しめる展開だった。

翌シーズンはグループステージ敗退。

しかし名称新たに再編されたヨーロッパリーグではキケ・フローレス新監督のもと、薄氷を踏むような接戦の連続ながら決勝の舞台に。準決勝のリヴァプールは事実上の決勝。元ヴァレンシア監督対決を制し2010年5月12日ファイナル。ハンブルグでの120分の激闘をフォルランのこの日二度目のゴールで制した。アトレティコにとって95ー96の国内二冠以来、何と14年ぶりの戴冠となった。12年には再びELを、昨年の国内制覇とCL準優勝は記憶に新しい。一時二部降格の辛酸を舐めた名門を復活させる立役者と言っても過言ではない万能ストライカーだった。

さて、去る者は追わず来る者は拒まず。拒む方はいなくても「金儲け優先してコンディションを崩すのが心配。」と反対の声が必ずあがる欧州強豪クラブのプレシーズンツアー。8月にサガン鳥栖と対戦するためアトレティコは来日する。

下半身が悲鳴をあげるほど凍えた欧州探訪の原点

 その名が示す通り「龍」がコンクリートの壁面に描かれていた。大型スクリーンが観客席ではなくスタジアムの外部に向けて映像を流していた。抜けるようなイベリアの碧空とはあまりに対象的な雪中での激闘。郷愁に浸っていると、欧州の一流クラブチームとの初遭遇に興奮しながらも、下半身は悲鳴をあげるほどの寒さがこたえる。何よりホスト国の一国民として選手たちへの申し訳なく、複雑な気分で訳わからず観戦した当時の記憶が次々と甦ってきた。

ポルトでのトヨタカップ映像1

 1987年のトヨタカップ。東京行きのチケットは、南米からウルグァイのペニャロール、欧州はドイツの盟主バイエルンを破りポルトが手にしていた。ポルトの中心街から外れているが恵まれたアクセス環境にエスタディオ・ド・ドラゴンはある。負け試合の映像をリピートするクラブなどあるはずもなく、勝者は言うまでもない。プレーどころか雪を見るのも初めてのペニャロールの選手達。方や、ドイツやオランダ北部では雪など珍しくもない。欧州のステージに立つつわものは、南欧の選手であってもこの難関はくぐり抜けている。経験値、即ち環境への順応性においてポルトが上回り、勝利を手繰り寄せたことを知って、あらためて欧州の広さとサッカーの深さを感じた23歳の冬。ツアーの添乗員としてソ連機(当時)のシートに腰を据えるのはそれから一年後の事である。

フォルランは帰国後ペニャロールでプレーをする予定だ。同クラブのユース出身者は後進に自身の経験という財産を還元していく。ウルグァイ代表、そしてペニャロールの後輩にあたるクリスティアン・ロドリゲスが、グレミオ(ブラジル)からアトレティコに復帰する。 鳥栖戦のメンバーに名前があればそのドリブルに注目していただきたい。
彼もポルトからアトレティコに移籍した一人だが、ジョルジュ・メンデスの仕事はポルトガルとマドリード間での移籍がやたら多い。しかし理由は判っている。報酬や環境はもちろん《イベリアの碧い空》は誰もが手放したくないと思うほど美しいのだから。