2018年4月19日エールディビジ32節アレナにVVVフェンロを迎えての試合。前節首位PSVとの直接対決は完敗。宿敵に眼前での戴冠を許す屈辱にまみれたアヤックス。それでもこの消化試合に注目する理由があった。ダフィ・クラーセンの移籍により、2017-18シーズンは、二列目のポジションにファン・デ・ベークが入っている。
対するフェンロ、最終ラインの前にダミアン・ファン・ブリュッヘンを配し興味深いマッチアップが実現した。
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バルサのウェア着衣のあすみさん。第49景をカンプノウにすると、懐かしい記憶が溢れはするのだが、凡庸な気もして躊躇う。だったら一層のこと隣のエスタディオ・ミニにしてしまえ。2メートル右隣で何を話しているのかまったく理解できない在りし日のヨハン・クライフ解説に耳を傾けながら観戦した2014年のUEFAユースリーグは唯一無二、かけがえのない体験となった。
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一番のりはヴィム・ヨンク。その後クライフ、ファンデル・サール、アーロン・ヴィンター、マルク・オーフェルマルス、ロナウド・デ・ブールとアヤックスの伝説が続々着席。やや離れてプジョルが腰を降ろし、試合後はクライフやデ・ブールとの旧交を温めていた。
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クライフが帰還したアヤックスがから改革に着手したのは2012年。ヴィム・ヨンクと彼のスタッフ達は、アカデミーとクラブ全体を改革しようと努めたが、2015年12月経営陣と対立しクラブを去った。
この試合の感想も含め 2015年10月には「現在ヴィム・ヨンクがアカデミーマネージャーを務めるアヤックスは、昨年のチームを見る限り、「個」の強さを重視するクライフ流が早くも結果として表れている。」と書いていたのも、すっかり忘れていた。
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ジュニア年代育成のメゾットは、2013-14シーズン終了後、オランダ全土の指導者に紹介されている。ユニークなのは、人口芝のピッチ以外、例えば石畳や屋内など異なるフィールドで、不規則な動きのボールを扱わせ、コントロール技術を向上させる手法。クライフの発想は南米のストリートサッカーと通ずる。
1995年のトヨタカップ。スコアレスドローの素因として、国立競技場の芝の状態を糞味噌にこきおろしてくれたのがルイス・ファン・ハール。クライフが知ったら、「芝のせいしている時点で技術の低さを晒している」と一刀両断されたに違いない。
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スキルボックスによりテクニックやコンディションなど細部に渡る選手の情報をデジタル化し分析・共有した効果なのか、持って生まれた才能なのかは定かでないが、この日、エスタディオ・ミニのピッチに登場した面々は、個の強さで、バルサの同世代を凌駕していた。
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筆頭は昨年A代表デビューを果たした前述のファン・デ・ベークと第一景で取り上げた
アブドゥラク・ヌウリ。彼も悲劇に見舞われなければ数年後はベルギー代表エデン・アザールと比較されるプレーヤーになっていたはず。この日11番をつけたヴァーツラフ・チェルニーも2015年のヨーロッパリーグ、セルティック戦、ロスタイムの決勝ゴールで脚光を浴びた。