欧州蹴球文化探訪第七の巻 ザルツブルグにてロシア人の言葉を思い出す

 野球にバレー、バスケットボールにラグビー、そしてゲートボール?フットボールにあって他の団体球技種目にないものを最大の魅力とするならば、筆者は迷わず「最大の見どころは、倒れこんだ相手選手のつった足を伸ばしてあげるシーンだ!」と断言する。

ライプツィヒで現場に復帰するラングニックに注目すべし

 前巻からの続き。ザルツブルグに革命をもたらした師弟コンビ、袂を分かちシュミットがレバークーゼンで自身の存在価値を証明しているだけに、今シーズン師がどのようなフットボールを見せてくれるのか楽しみでならない。

 ここで改めて就任初年度2012-13シーズンを振り返ってみよう。

 開幕3連勝と上々の滑り出しが4節ラピドにホームで敗れ3試合白星なしで4位に。戦術の浸透が甘い序盤は苦戦を強いられた。11月3日ホームで5-0、年内最終戦も7-0。驚異的な攻撃力の爆発。年が明けても2位で首位のアウストリア・ウィーンを追走する展開。迎えた3月31日の大一番ウィーンでの直接対決は痛恨のドローで勝ち点差を詰められなかった。

 迎えたラストマンス。5月12日33節アウェーながら6-0の大勝。18日34節ホームで7連勝を飾るが首位アウストリアも譲らず、残り2試合で勝ち点差6のまま。得失点差は3。35節首位チームが仮に取りこぼしたうえで勝ち点3をもぎ取れば優勝金皿の行方はホームでの直接対決に委ねられる。逆にアウストリアとしてはそれだけは阻止せねばならない展開だった。

 そしてザルツブルグ市民の夢は脆くも崩れ去り、アウストリア4-0の文字が翌日の紙面を飾った。シャロン・ストーンの笑顔とセクシーな衣装も慰めにはならない。

新聞紙面とマッチデープログラム
[新聞紙面とマッチデープログラム]

シャロン・ストーンの胸元に励まされてスタジアムへ

 それでも、シーズン後半のレッドブルに興味を抱き、スタジアムへと足を運んだのが5月31日最終戦のザルツブルグ・アリーナだった。外壁に木材を用いた独特の建物を背景の雪山が惹きたてる。首都のクラブは優勝皿を手にしてアルプスの麓に乗り込んだ。3日後には、カップ戦の決勝を控えダブルを狙っているため主力温存は定石。
 従って試合は一方的にザルツブルグの攻勢が続く。怒涛の攻撃。アウストリアはサンドバック状態。前半持ちこたえるかと思われたがボディーブローが効いたようで、39分サディオ・マネが頭で決めると75分にも彼の追加点。リーグ覇者とはいえ、うっかり冷凍庫に入れたままにして炭酸の抜けたビールのようなこの日のアウストリアが相手だからと、高を括っていたがハーフタイムを気にする頃には自問自答。

「レッドブル・ザルツブルグ強くない?」「うん、強い。まるで小学生低学年のサッカーみたいだけど。」

 小学生のサッカーではセンターサークルの遥か手前までしか届かないゴールキックを拾ったFWが直接シュートするシーンが度々見られるが、これは究極のシンプルイスベストである。ポジショニングに関係なくみんなでボールに群がり、まずは敵陣に近づく。あとは偶然でゴール内に転がる。
 シュミットの戦術は、攻守備関係なく、ボールに関与できる位置での数的優位を追及したフットボールである。3-0で試合終了のホイッスルを聞く。レッドブルがホーム最終戦で意地を見せた。

 翌日スタメン11人の評価はDuchschnitt(平均)5人。Stark(強=良) 4人Sehr stark(とても強=良)はマネとケビン・カンプルの二人だけ。前年にロッテルダムでの代表戦出場していたドゥサン・スベント以外初めて観る選手ばかりだったが、あらためて二年前の記録を押入れの隅から引っ張り出したのには理由がある。

 シュミットがチームを離れると同時に主力にも強豪国から白羽の矢が立つ。長澤和輝も昇格に貢献した1FCケルンには、スベントと大迫勇也が新加入。ケルンは奥寺康彦氏に始まり槙野智章と現所属で計四人の日本人が所属、欧州主要リーグにおいてVVV、フランクフルトそしこのザルツブルグ同様縁の深いクラブ。デュッセルドルフから列車で30分程度の距離だから納得。そのVVVからサウサンプトンに移籍した吉田麻也と同僚になったのがサディオ・マネ。

ケルン駅
[ケルン駅]

劣勢回復のカンフルとなるカンプル

 あの日最も記憶に残ったカンプルに至っては、香川真司にライバル出現と大きく取り上げられた。それはパスのセンスがどうとかドリブルの斬れがこうとか攻撃面ではなく、守備の運動量、つまり献身性。ボール狩りという言葉があるが、あの日のカンプルは終始狩猟犬が主人の命令に従うかのように相手ボールホルダーへのアプローチを止めない。フォアチェックしたとかプレスかけたなど、耳障りの良い表現よりも「咬みつく」が相応しいのだ。