欧州蹴球文化探訪 第六の巻 酒と塩と珈琲とエナジードリンク

南野拓実に続く日本期待の新鋭がレッドブルザルツブルグに。華麗な足技を見せてやれ。古都のネイマール!奥川雅也
「アホの坂田のテーマ」を聞かれたら、失笑買うぞ。浪速のモーツァルト!キダ・タロー

東のウィーン、西のザルツブルグ

ハプスブルグ王朝の繁栄を色濃く残す都ウィーンは、欧州カフェ文化発祥の地でもある。

大司教の中立政策と要害堅固な城塞に守られてきたザルツブルグ。ドイツの一部としてウィーンと対立していた歴史から、バイエルン・ミュンヘンとの提携関係も不自然では

首都に本拠地を構える二つのクラブとのライバル関係は、源流をさかのぼると、皇帝文化と宗教文化に行きつく。

ユーロ2008開催時チューリッヒ空港画像

トラップからアドリアーンセへ大きな方向転換

2008-2009年シーズン、スイスと共同開催された欧州選手権の興奮も冷めやらぬなか、オーストリア・ブンデスリーガは開幕。

注目はコー・アドリアーンセを新監督に迎えたザルツブルグ。

しかし90年代、アヤックスアムステルダムのユース育成部門の責任者として、当時トップチームを率いたファン・ハール(現マンチェスター・ユナイテッド監督)と共に攻撃サッカーの礎を築き、思想を植え付けたオランダ人指揮官は、宮本恒靖を戦力外に。
皮肉なことに前任者のカテナチオ信者トラパットーニ(イタリア)の下で出番を失くし退団していた三都主アレサンドロの方が好まれたかもしれない。

日本人選手が去り日本語の活字で紹介される機会は薄れたが、その後の展開がなかなか興味深い。AZアルクマールをUEFA杯ベスト4に導き年間最優秀監督にも選ばれたことのあるアドリアーンセ。そのAZをこの年、率いたファン・ハールはエールディビジを制覇。アヤックス、PSV、フェイエノールトの三強以外の優勝は28年ぶりの快挙だった。

また成績不振を理由にPSVではシーズン途中でヒューブ・ステフェンスが辞任に追いやられ、ザルツブルグとの契約期間終了後にはアドリアーンセが就任するとの噂も。

結局2010年カタールで五輪代表監督に翌年就任するのだが、ザルツブルグの後任には、09~11年までの2シーズンをステフェンス(途中解任)、その後右腕のリカルド・モニスに襷が手渡されたので、彼が任期を終える2012年までは三人のオランダ人政権が続いた。

この間欧州のカップ戦出場権は手放さず安定した成績を維持している。ビールの街にはイタリア産ワインより、チャンピオンスリーグ(CL)で世界的に知られるメーカーのビールのほうが舌(喉)になじんだのか。

ちなみにステフェンスは2011年から内田篤人所属のシャルケ、ギリシャのPAOKを経て、昨年からは酒井剛徳所属のシュツットガルト、日本人選手が在籍しているクラブチームでの仕事ぶりにご存じの方も増えたはず。

2011-2012シーズン、モニスはニコ・コバチ氏との二人三脚で始動。ブレーメンからフィンランド人DFペトリ・パサネン、NACブレダからは、ブラジル人FWレオナルド。そしてアヤックスのスウェーデン人MFラスムス・リンドグレンと各ポジションを補強。国籍は異なるが奇しくも全員がアヤックスに所属しプレーした経験を共有している。
充分な手駒を揃えオランダ人指揮官は、欧州戦線に臨むと、この年大型補強で話題を集めたPSGを下してグループステージを突破した。守備の要セカギュはウガンダ出身、バルセロナから移籍したスペイン人FWジョナタン・ソリアーノ、中盤左にスロバキア代表のスベントと、国際色豊かではあるが自国選手はやや影が薄い気もする。

私服のラスムス・リンドグレン

ラングニックが連れてきたシュミットの敏腕

そして、ロジャー・シュミットがザルツブルグにやってきた2012-13シーズンのCLファイナル。
クロップ率いるドルトムントがバイエルンを後一歩のところまで追い詰め無念の涙を流した様子を、ウィーン駅近くのカフェのモニターで観戦している。
元自動車エンジニアの異色の経歴。2部のSCパデルボルンを12位から5位に上げた程度の実績はあるらしい。