ぷら~り 欧州蹴球場百景【138】スタディオン・パルチザーナ/ べオグラード

ロコモティブ・モスクワが興味を示すほど、欧州のステージで輝きを放った浅野拓磨。所属するパルチザン・ベオグラードといえば、かつてブラジル人エベルトン・ルイスへの人種差別がAFPでも報道された。記憶に新しいところでは、ライバルのツルヴェナ・ズヴェズダ=レッドスターがトッテナム戦のチケット販売禁止+5万ユーロの罰金の理由も人
種差別行為だった。


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危険な臭いに唆られたわけではないが、べオグラードに行くことにした。切っ掛けは、7月に公開した百八景。買取義務の足枷でトップチームへのベンチ入りすら許されない苦行を強いられた浅野拓磨。イスタンブールだろうがベオグラードだろうが、プレーできる国への移籍を薦めエールを贈った手前、国名がセルビアに変ってから訪問したこともないのは如何なものかと。


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アーセナルを正式に退団し完全移籍でのパルチザン入り。相手はカザフスタンのアスタナ。第138景はスタディオン・パルチザーナ。
2019年12月11日UEFAヨーロッパリーグ(EL)GS最終節。既に決勝トーナメントへの道を断たれているが、サポーターは熱い。


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このスタジアムは控室がメインスタンドとベンチの反対側にあるため、選手入場前スタッフはピッチを横切ることになる。待ち構えていたところ登場したのはお目当てのサボ・ミロシェヴィッチ監督。


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1995年のユーゴスラビア代表デビューから、セルビア・モンテネグロを経て、セルビア代表のユニフォームを脱ぐ2008年まで刻んだキャップ数は102。2000年のユーロ・フランス大会でも4試合5ゴールを記録しているのだが、正直あまり印象にない。


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その名前が日本のメディアに登場して焼き付いた試合はやはり、2001年の6月17日。日本時間だと18日か。雨中のコンフェデレーションズカップ準決勝・豪州戦から10日後になる。


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決勝戦のフランス戦を放棄してでもスクデットに拘った日本代表のエース中田英寿。彼が所属する首位ローマと2位ユヴェントスとの勝ち点差は2。最終節最後の難関が待ち受けていた。ミラノ二強を抑え4位=UEFAチャンピオンズリーグ(CL)予選出場切符を手にしていた強豪パルマ。そのツートップがイタリア代表のディバイオとセルビア代表のミロシェビッチだった。


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ブッフォンが守っていながらゴールのネットが揺れること三度。残り10分から出場の中田もピッチで歴史的な瞬間と歓喜を味わえた。ワールドカップ日韓大会前の重要なシーズン。パルマから背番号10を与えられ熱烈な歓迎を受けた。ウルヴィエリ監督はトップ下=司令塔に中田を指名。

ところが2001年8月7日CL予選でパルマは敗れる。リールの智将ハリルホッジは、パルマの弱点を分析しており、堅守は2試合を通じて崩れなかった。
このシーズンの中田はウルヴィエリが解任されるまでの序盤9試合、カルミーニャから左ハーフを任された最後の7試合以外、ベンチを温めていた記憶しかない。実際には短い時間出場機会は与えられていたのだろうが。