ぷら~り 欧州蹴球場二百景【206】テヘルネ・ポレ / ブラティスラヴァ

ベスト4を賭けた南米VS欧州の連続PK戦。メッシとデパイ、両チームの10番は新旧バルサ対決とあってエストラージャダムを飲みながらABAMA視聴。日本代表に続いてカナリアをも退けたクロアチア代表の粘り強さと精神力に脱帽。


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日本VSクロアチアは、本田圭佑(敬称略)の解説を聞きたくてABAMAを選択した方も多いと思うが筆者もその一人。左サイド長友佑都にボールが入ると、一段階ボルテージがあがっていた様子。


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1986年生まれの二人は日本代表で共にプレーした頃から仲良しで知られる。しかしサンシーロで時間を共有して紡がれた絆であることも否めない。長友が7年、本田は3年半をミラノで過ごした。実は両者がピッチで火花を散らしたのは2014年11月23日の1回のみ。長友はスタメン、本田は後半投入され20分弱のプレー。結果は1-1のドロー。


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結局両者スタメンは一度も実現することはないまま本田がミラノを去る。最後のデルビーとなった2017年4月15日。試合開始時からインテルの左サイドには背番号55の姿。


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残念ながらモンテッラから声がかかることはなく試合は2-2で終了のホイッスル。

本田が唯一輝いたのは16年1月31日。フリーキックでアレックスの先制ゴールをアシスト。残り1分ボアテンクと交代するまで右サイドハーフで奮闘、3-0の勝利に貢献した。


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ダブルボランチの右でロッソネロの中盤を本田の後方で支えたのがスロバキア代表ユライ・クツカ。87年2月生まれで本田、長友と同学年。彼のプレーを最後に観たのは四年前のUEFAネーションズリーグのウクライナ戦。前半26分にアシストを決めたが4分後に負傷交代。


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前年ミラノからトラブゾンスポルに移籍、このウクライナ戦の約2か月前には当時ガラタサライの長友とも対戦していた。負傷退場も去ることながら、この日クツカが記憶に残ったのは、ウクライナ代表の監督アンドリュー・シェフチェンコとの「ミラン繋がり」。そのクツカはワトフォードでのプレミア生活を一年を終え今季母国に。


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第二百六景はクツカが所属するスロバン·ブラティスラヴァの本拠地テネル・ポヘ。


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