ビッラ·イタリア·ミラノは1906年ミラノのコルソ·センピオーネに誕生。1997 年以来、ウディネ近くのサンジョルジョ·ディノ·ガロ工場で醸造されており、この銘柄が脚光を浴びるようになったのは2000年のHoreCare社の買収から。
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イタリアで見掛ける子供たちは地元クラブのレプリカよりもトレ·グランデの縦縞を着てボールを追いかけていた。キッズだけではない。2007-08シーズン以降、コッパ・イタリア決勝の舞台になっているローマのオリンピコ。2016年にはミランの本田圭佑をプレス席から眺めたが、満員の観客はミラノ、トリノからの遠路はるばる組だけではなくローマ近郊在住のファンが結構チケットを購入しているから、全国規模で御三家は別格の人気。
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しかし何処にも例外はいるもので、UEFAチャンピオンズリーグで自国のクラブであってもユーヴェやミランは絶対応援しないのが真のロマニスタ、そしてラツィアーレ。
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「すべての道はローマに通ず」「ローマは一日にして成らず。」
紀元前8世紀テベレ川の畔を拠点にローマ人は海を越え欧州全域へと勢力を拡大した。極めた繁栄の証、数々の史跡見たさにイタリアの首都であり、ラツィオ州の都でもあるこの大都市を今日も観光客が訪れる。
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三か月ぶりとなる成田空港の風景。新設UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ初代王者に輝いたジョゼ・モウリーニョのASローマが11月には名古屋グランパス戦のために来日。おそらく成田に降り立つと思うのだが、セントレアにも欧州線は就航している。
彼の母国ポルトガルではW杯カタール大会出場メンバーが 人が 日発表された。
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ジョゼの凱旋、ローマの街に輝く優勝杯を持ち帰ったのは、マンチェスターユナイテッドを破ってスーパーカップを掲げたSSラツィオ以来23年ぶり。最後のUEFAカップウィナーズカップ覇者がラツィオ。
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昨季はUEFAヨーロッパリーグ=ELのグループステージを突破。初戦ガラタサライに敗れたが2節ロコモティフ・モスクワ戦を、トマ・ベシッチ、パトリックのゴールで勝利以降無敗をキープした。
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ベシッチは、ハイデュク・スプリント時代ザグレブでプレーを見た。
今年の2月24日、EL決勝トーナメントプレーオフ第2戦でFCポルトとスタディオ・オリンピコで対戦したビアンコチェレスティ。