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欧州蹴球文化探訪 第二十九の巻 バルカンの黄金銃とボヘミアニズム

 連日目の前がくらくらした。チャンピオンズリーグとヨーロッパリーグの予選。ホーム&アウェーのノックアウト方式は、逆転とアウェーゴール差の連続となり、あまりに面白すぎて。・・・暑さと飲み過ぎのせいではない。今巻ではザグレブを取り上げる。

アゼルバイジャン代表監督 ロベルト・プロシネツキ

 前巻のユーロ92年大会は東京12チャンネルのダイヤモンドサッカーで録画中継だったと記憶する。96年欧州選手権イングランド大会からWOWOWが放映を開始。グループステージでデンマークが敗退した相手はユーゴスラビアからの分裂国クロアチアだった。

 昨年アゼルバイジャン代表監督に就任したロベルト・プロシネツキ。かつて「バルカンの黄金銃」とリーガで対戦相手に恐れられた彼の仕事ぶりは興味深い。
 プロシネツキはドイツ生まれ、父親はクロアチア人、母親はセルビア人の家系。帰国した父親の地元ディナモ・ザグレブのユースチームで頭角を現し1987年のワールドユース(当時)のMVPを獲得した。
 しかし監督ブラジェヴィッチとそりが合わずツルヴェナ・ズヴェズダに移籍。
 91年には、サビチェビッチらと共にチャンピオンズカップ優勝に貢献する。
 その後スペインを主戦場に、レアルとバルサの二大クラブでもプレー。前述のユーロ96、98年のワールドカップ・フランス大会にも招集されたが、代表監督は因縁のブラジェヴィッチ。
 決勝トーナメントではスタメンから名前を消されている。97年母国のザグレブ゙に戻ると、しばらくしてクラブは長い歴史で初の東洋人プレーヤーを迎え入れた。ポルトガル語が堪能な三浦“キング”カズにとって、スペイン語が話せるプロシネツキやユリッチと交わした言葉の数々は今でも大きな財産になっているらしい。
 プロシネツキは2000年まで在籍後、ベルギー、イングランドを転戦。川口能活とも共にプレーをして2003年ディナモで現役生活を締め括った。
 クロアチアにて35歳での引退、2010年セルビアのツルヴェナ・ズヴェズダの監督に就任した彼にとって国境の壁は無きに等しい。

イタリアンカラー色濃い旧ユーゴの東欧国

 写真はイタリア北東部ビチェンツアの駅。ミラノからヴェネツィアに移動する際に撮影した。長靴半島をミラノから南へ下ると首都ローマまでの距離は580キロ。
 一方東に移動するとヴェネツィアからスロベニアとクロアチアの二つの国境を越えてカーニバルで有名なリエカまで500キロ。そこから東側160キロに首都ザグレブが在る。

 6世紀末から7世紀末にかけて旧ユーゴスラビア一帯に南スラブ民族が定住。現在セルビア人とクロアチア人の外見的な見分けはつかない。

 クロアチアのファシスト政権がセルビア人を虐殺しセルビア人も報復した血で血を洗う第二次大戦も終わると、連邦国家として両民族は相互文化を尊重し平和に共存していた。

 92年、あの忌まわしき内戦が起るまでは。

 トヨタカップでズヴェズダが来日した91年、当時“組織の欧州VS個人技の南米“の構図を覆すほど、東欧のブラジルと形容されたユーゴスラビア人選手の巧みな足技は脚光を浴びた。

 内戦によりクロアチアとユーゴスラビアに分裂すると、東欧のブラジルを継承した新生ユーゴに比べ、クロアチアはどちらかというとイタリアのスタイルに近いと感じた当時から、地理と歴史そして宗教がもたらすフットボールへの影響には現在も興趣が尽きない。ギリシャ正教会から独立したセルビア正教会に対してクロアチア人はカトリック。文字もローマ字を用いている。

 カズが自身の目で確かめ移籍を決意した当時のクロアチアの国内リーグは、現在よりもレベルは高く、少なくとも同時期オファーを出したスイスのチューリッヒよりも上。諸々事情があるにせよ、セリエA同様カズが苦戦したのも肯ける。写真は93年ミラノでのクリスマス・チャリティマッチ。イタリアに渡る前のカズがサビチェビッチや世界のスターと笑顔で記念撮影に収まるサンシーロ。

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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