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♯21 日本人が知らないアーセナル その二 コミュニティ創立の歴史

チェ)アーセナル、二話目です。お当番はパリのカトリーヌくんとズーさんです。
カト)よろしくお願いします。

チェ)カトリーヌ・・・呼びにくいのでカトちゃんにしましょう。
ミス)カトちゃんは スポーツ何かしますか
カト)ペタンク好きです
ミス)ぺた・・・?
チェ)フランス発祥のコミュニティスポーツです。
カト)ステンレス製のボールを投げる球技です。
ミス)ルールはカーリングに似てるかも。

チェ)写真撮ってきました。

ミス)まったくわかりません。下の写真は更にわかりません。
カト)緑のマフラー、どこのクラブですか?
チェ)ブダペストのパブでビール飲んでいたら「おごりだから飲め!」とショットグラスを手渡されました。注がれていたのはウニクムです。手前の女性も奥の男性も手にしている茶褐色の液体が香草・薬草系リキュールです。

カト)アルコール度数は42なのでウィスキーのストレートと変わりません。

チェ)欧州各都市でこの地元の酒をご馳走になるのは定番ですが、ロンドンでも「お前チャイニーズか?ジャパニーズか?」とアーセナル狂の爺さんに聞かれたので「ニッポン!」と答えるとジョッキがドン!と目の前に差し出されました。爺さんの言い分は「アーセナルのスポンサーになった最初の外国企業は日本だから、その礼だ。若い頃はJVCセンターで・・・」と。このお爺さんからすれば80年代はつい最近なんですね。

ミス)1980年前後、日本も海外サッカーブームが起こったそうです。
チェ)78-79シーズンのUEFAチャンピオンズカップ準決勝で奥寺康彦がゴールを決めました。UEFAの大会で日本人初の快挙です。

カト)対戦相手はイングランドのノッティンガムフォレストです。

ミス)ノッティンガム・フォレスト・・・聞いたことありません。

チェ)創立当初のアーセナルがユニフォームをもらったクラブです。最近は二部=チャンピオンシップに根付いているので知らなくて当然です。今季は三部降格の危機に見舞われました。
これは37節ブレントフォードのマッチデープログラムですが、前節3月7日アウェーでノッティンガムフォレストに2-3で勝利した試合のレビューが掲載されています。

カト)そして以前お伝えしたとおり同じく名門のブラックバーン・ローヴァーズがなんと三部に降格しました。ノッティンガムフォレストは得失点差でからくも残留を決めたのです。

チェ)そのノッティンガムフォレストが翌年第一回トヨタカップのため来日しました。
ミス)81年のリヴァプール、82年のアストン・ヴィラと、欧州一の称号はイングランド勢が独占してるじゃないですか。

チェ)英国では2007年からレトロフットボール雑誌『BACK PASS』が販売されてます。54号(2017年春号)の表紙がこちら。

ミス)80年のチャンピオンズカップ決勝映像を見ると、ピッチサイドのスポンサー広告にSEIKOやCanon、JVCなど日本企業名が目立ってますね。

チェ)日本国内ではJVC=日本ビクターがソニーと規格競争の末、日本初の世界標準規格を獲得、海外へと進出し市場を拡大していました。各国に生産・販売現地法人の設立、地元企業に技術を供与しグループを拡大していました。そのJVCブランディング戦略の一環としてロンドンのクラブに白羽の矢が立ったのです。

カト)1981年アーセナルとJVCとのスポンサー契約は82-83シーズンから99年までの長期に渡ります。

チェ)そのロンドンでは81年グレーター・ロンドン・カウンシル(GLC)議長にケン・リヴィングストンが就任しました。
ミス)2004 年に再生計画「ロンドンプラン」を掲げた後のロンドン市長です。

チェ)翌年 7 月シンガポールでのIOC(国際オリンピック委員会)で、モスクワ、ニューヨーク、マドリード、そして本命パリと居並ぶ強敵を抑えての招致、このロンドンプランが決め手になりました。

カト)但し、81年当時大都市圏では支持を集める労働党と中央の保守党政権が対立する英国でリヴィングストンとサッチャーは水と油、結果1986年にはGLCが廃止されます。ロンドンは斜陽の街となり、前述のロンドンプランは、「失われた20年」を取り戻す都市開発構想でした。

ミス)80年代前半リヴィングストンの数ある武勇伝の中でも有名なのが、County Hallからテムズ川対岸に位置する国会議事堂に向けて日々上昇する失業率を掲げていた事でしょう。
ミス)勇気ある嫌がらせですね。

チェ)1981年のロンドンは、4月ブリクストンでの大暴動が勃発、人種差別と失業率の高さが原因です。リヴィングストンはスポーツ政策立案者や管理者を集め若者の雇用目的でスポーツプログラムに資金を投入しました。スポーツイングランド評議会のロンドン地区を担当していたアラン・セフトンを通じて、アーセナルのマネージングディレクター職にあるケン・フライヤーに対して、クラブで青少年雇用訓練制度を実施するよう提案しました。
カト)失業中の若者を、スポーツ指導者として育成し、地域社会で働かせようと考えたのですね。

ミス)ケン・フライヤーは、エミレーツの側に若かりし頃の銅像がありますよね。

チェ)彼は12歳の時に郵便物を届けるアルバイトから秘書を経て取締役にまで出世します。リヴィングストンとフライヤー、二人のケン、そして日本の企業JVCもアーセナルのコミュニティ一創立に関わりました。先に述べたスポンサー契約料で、それまで大学敷地内のトレーニング施設を利用していたクラブは念願の専用施設を手に入れたのです。

カト)JVCセンターはアーセナルの選手が使っていない時間を地域住民に開放しました。
ミス)1985年アーセナル・コミュニティが誕生し、チャールトン・アスレティックでプレーしていたヴィック・エイカーズが引退し責任者に任命されました。

チェ)86年スポーツ評議会を離れたアラン氏は、コミュニティ職員に着任します。このアーセナル・コミュニティは市民ボランティア団体のようなものではなく、アーセナルの社会貢献部門として設立当初から有給職員を雇用しています。

カト)学校訪問と若年層への指導は、プログラムの不可欠な部分となりましたが、フットボールだけでなくクリケット、ホッケーなど複数の競技も含め様々なプログラムがアラン氏によって運営されました。

チェ)ズーさんが持ってるフリップ、上は女子部門設立の記事、下の写真中央の男性がヴィック氏です。1987年のLITTLE WOODS CUPですね。

ミス)ヴィック氏は87年に創設した女子部門の指導に専念し93年には国内三冠、2007年のUEFAカップ女子優勝へとアーセナルレディースを発展させました。

チェ)さて、2006年にハイバリーを離れるまで、このJVCセンターは英国で最も想像力豊かなコミュニティプログラムの拠点として活気に溢れていました。冒頭のお爺さんも足を運んでいたのかもしれません。

ミス)・・・かもしれません?
チェ)最近はジョッキ三杯を越えると翌日まったく記憶がないですね。何を話したのか・・・わかりません。

カト)アラン氏は2014年大英帝国勲章MBE(英国と海外の若者たちへの教育とサービスへの功績)をエリザベス女王から贈られました。

チェ)80年代、世界のスポーツの潮流は ロサンゼルス五輪の商業的成功(数週間の開催で約450億円もの放映権収入)によりTVに流れます。同年「Canal+」は英・仏・伊の国内リーグの試合を生中継します。Canal+といえばこの写真。

ミス)何ですか?これ。

チェ)パリでPCの画面開いたらこのサイトにCanal+の広告。バイエルン対レアル戦中継が表示されていました。これは編集部も大喜びです。

カト)90年に「SkySports チャンネル」が設立され、FAプレミアリーグ発足へと加速します。

ミス)92年にはアーセナルは公益信託の活動を始めます。

チェ)今回は80年代までにしましょう。
過去にJ リーグクラブのユニフォームへ自社ブランド名を掲出したスポンサー企業を対象にしたアンケート調査の結果、「社会貢献・地域貢献」で、以下、「社会・地域への責任」、「ブランド・ロイヤルティの向上」が優先順位上位に位置づけられました。
Jリーグは創設当初から各クラブにホームタウン活動を義務づけていますが、スポンサー企業各社もスポンサーシップを CSR 活動の一環と捉える傾向が強いようです。JVCのアーセナルへのスポンサーシップは、時代を先取りした英断と言えるでしょう。

今はもうアーセナル駅を降りて改札を抜け左に流れる人波はありません。

カト)ビールをご馳走してもらえたのも日本ビクター(現JVCケンウッド)社の恩恵ですね。

ミス)感謝しないといけませんね。

By | 2017-07-12T10:36:07+00:00 7月 6th, 2017|Categories: Soccerlture League|Tags: |0 Comments

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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