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欧州蹴球文化探訪 ベルギーの光と闇 第二十四話 ハーザールとマリマン

 恒例となったU-17フューチャーカップがアムステルダムのトゥームコストで開催された。

2016 futur cup

今年もアンデルレヒトが参加。スカウト部門の責任者アーバン・ハーザール《1941年生まれ》が古巣アムステルダムに帰ってきてリポーターのインタビューに答える。
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ヘンク・マリマン

 19歳のゴールキーパーは膝の負傷でプレーを断念した。フットボールに限らずスポーツではよく耳にする。フットボールへの情熱冷めやらぬ多くの元選手は1988年指導者を志す。ベルギー人は国境を越えオランダ指導や練習の知識と実技を学ぶ。1995年、スポルティング・シントニクラースのトップチームは当時ベルギー一部。マリマンの指導対象はU15-17世代。その仕事ぶりについて、風の噂は隣町のトップクラブの耳にも入り、スポルティング・ロケレンからトレーニングヘッドコーチを補佐する依頼。1999年転機が訪れる。
5月5日に76歳の誕生日を迎えた老伯楽は80年代にスルテ・ワレヘム、90年代にはオーステンデを指揮した後、1999年ゲルナミル・ベールシットの育成部門ディレクターに就任していた。

24 mariman

 90年代ルイス・ファンハールとコ・アドリアーンセによってシステムが構築されたアヤックスとの『プロジェクト』が始動し、ハーザール

 そしてマリマンも加わった。

 2000年、ヘンク・マリマンは再びオランダとの国境を越えた。派遣先であるアヤックス・アカデミーではアシスタントディレクターの肩書。それから4年を越える歳月を過ごす間に、アヤックスの育成哲学から練習メニューの細部に至るまでを吸収。当時アヤックスは、ケープタウンにフィーダークラブを設立。南アフリカやガーナへとスカウト網を拡大しており、ヘンクも携わっている。

 一方2000年ベールショットのコーチにはシモン・タハマタが就任。80年代前半、アヤックスとスタンダール・リエージュで一世を風靡したオランダ人ウィンガーは、現役時代ベールショットにも在籍しており、これ以上の適任は見当たらない。
1996年の引退後はスタンダールで指導者の道を選び『プロジェクト』終了後は、アヤックスへと戻り2009年まで育成に情熱を注ぐ。
(現在はフリーランスで活動)

 2004年、マリマンはハーザールの後任としてベールショットのアカデミーのディレクターに就任。一方ハーザールはアヤックスのスカウトとしてベルギーエリアを担当する。マリマンは2007年に退任するがハーザールは2010年までアヤックスとベールショットの橋渡し役として尽力する。

 ゲルナミル・ベールショットから後にアヤックスで才能を開花させる三人のディフェンダーはベールショットでハーザールの指導を受け、アヤックスに送り込まれた。その三人以外でもイタリアに渡る前のナインゴランやムサ・デンペレは当時マリマンの指導を受け、

brugge henk mariman

マリマンが自身の経験を活字にした著作「サッカーメソッド 」を発刊したのは2005年。欧州で育成に携わる指導者のバイブルと崇められ英語とオランダ語、後にロシア語にも翻訳された。
UEFAコーチライセンスもA級を取得。そして2007年3月、ベルギーを代表する強豪クラブ・ブルージュは、アカデミーのディレクターへ就任を要請。

 同時期にダブルパス社の監査事業が本格的にスタートしている。クラブ・ブルージュへの査定は、ベルギー国内のクラブで最上位五ツ星+アルファの評価。
 アンデルレヒト、ゲンク、そしてスタンダール・リエージュは設備環境でライバル達に後れを取っていたが、今は亡きロベール・ルイ・ドレイフェスの支援によりアカデミー施設が完成したのがこの年であることは以前記した通り。

By | 2016-05-26T22:23:52+00:00 5月 26th, 2016|Categories: コラム, その他コラム|Tags: , |0 Comments

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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