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欧州蹴球文化探訪 ベルギーの光と闇 第二十話 開かれた門扉

 2013年 小野裕二と永井謙佑がスタンダール・リエージュに移籍した。川島永嗣も含め日本人が同時に三人も欧州主要リーグ一部クラブに在籍するのは史上初。肩を並べたハノーヴァー(独)は既に降格決定。最終節5月14日そのハノーヴァーとバイエルン戦。この前日ミュンヘン入りしているがこの格差対決に興味はない。アウグスブルグ戦の酒井高徳目当てに列車の切符とプレス席を確保した。

Xavier Chen

 ベルギーには以前から日本人以外にも多くのアジア人プレーヤーがプレーしてきた。陳昌源(シャビエル・チェン)は、首都に生まれ地元アンデルレヒト・ユースで育った。U19ベルギー代表にも選出された逸材に目をつけたのがチャイニーズ・タイペイ代表。父親の母国である台湾のA代表を選択しコルトレイク、メケレンでプレーした後、現在中国でプレーする。

 一方大陸からはU20中国代表のFW王上源(1993年6月生まれ)が2013年クラブ・ブルージュのトライアルに合格している。た2シーズンを過ごし今やアジアを代表するメガクラブの広州恒大に。

asia

 東南アジアではインドネシア人のディフェンダー、アーサー・アイラワン。王と同年齢(1993年3月生まれ)でスペインを経て2014年からワースランド・ベーフェレンにてプレー。

15) Dion Cools

 ディオン・クールズ(1996年6月生まれ)は昨年U19ベルギー代表にも招集された逸材。東洋風の顔立ちはマレーシア人の母親の遺伝子を受け継ぐ。レーベン、アンデルレヒトの下部で育成後、昨年からクラブ・ブルージュに。ポジションは右サイドバック。

Philippe Paol レバノン ロンメル

 昨季ケルンのセカンドチームに在籍していたフィリップ・パオリ(1995年1月生まれ)は現在二部のロンメル・ユナイテッドに。ベイルート出身のレバノン代表ストライカー。

AKRAM AFIF カタール オイペン

 かつて指宿洋史が所属したオイペンは2012年からカタールの財団所有と成り同国の若手がベルギー2部リーグで経験を積んでいる。写真はイングランド代表と対戦するカタール代表の14番 アーメッド・アル・サーディ(1995年10月生まれ)。

Ahmad Al Saadi

 アハマド・モイン・ドゥーザンデ(1995年10月生まれ)はイラン国籍。二人は昨年までプレーしていたのだが年明けに帰国。残留したのはストライカー、アクラム・アフィフ(1996年11月生まれ)。新たにGKのユーソフ・ハッサン(1996年5月生まれ)ファハド・アルブラハム(1995年4月生まれ)左サイドバック、Abdulaziz Al Khalosiが加入。今後も入れ替わり立ち替わり一定のカタール人が在籍するはず。現在リザーブチームにはアブドラ・アブドゥサラム(1997年5月生まれ)が在籍。

 2015年5月31日FIFA・U―20ワールドカップ。グループCで南米の強豪コロンビアと対戦。4-4-2の中盤は左サイドハーフにアフィフ、右にアル・サーディ、DHにはドゥーザンデ。左サイドバックにアルブラハム、そしてGkハッサンとオイペン組の健闘空しく1-0のスコアで惜敗した。
かつてフィリップトルシエがカタール代表監督就任時、ブラジル人の帰化以外に強化方法がないと嘆いたが、欧州で若手を鍛える為にオイルマネーを有効活用されるならば、アジア圏内の日本にとって、中東の小国も脅威となり得る。

Arthur Irawan waasland

 昨年末、ボスマン判決から30周年の話題が欧州複数紙面にて報じられた。かなり老けこんだ姿を晒すことになったが欧州蹴球発展の功労者ジャン・マルク・ボスマン君を改めて同年齢の筆者から紹介したい。ちなみに前回登場したカルロス・ドゥンガ君も同年齢である。

 彼を弁護したデュポンと同じくリエージュに生まれるとスタンダールの下部組織で育ちユース年代ではベルギー代表にも招集されている。出場機会を求めて、1988-89シーズンに同市内のRCリエージュに移籍した。当時の財政難で破産寸前のクラブは90年6月の契約満了後、最低賃金での契約延長を提示した。魅力的なオファーなどあるはずもなくボスマンは国境を越えて新たな職場を探す。直談判の甲斐あってフランス二部のダンケルクとの契約にどうにかこぎつけたのだが、当時の制度では契約が満了しても選手の保有権は所属クラブにあるため、同意しない限り他のクラブへの移籍が出来ない。またこの場合(前)所属クラブとなるリエージュは、ダンケルクに対して移籍金の要求が認められる。高額の移籍金をふっかければ契約は白紙撤回。ボスマン自力のリクルート活動の苦労も水の泡。リエージュとの契約更新を受け入れなかったボスマンは、飼い殺しにされ失業者となった。

 そこでベルギー裁判所にクラブと協会を提訴し90年11月に勝訴。賃金が支払われ移籍の権利を獲得してフランス北部のサン・タンカンが新天地に。しかしこのクラブも呆気なく破産。ベルギー国内に戻ろうとシャルルロワ、メケレン、コルトレイク、手当り次第の就活も、厄介者はお断りと敬遠されようやく加入できたのはサンドニ。・・・といってもパリ北部、スタッド・ド・フランスのある街ではない。インド洋に浮かぶフランス領レユニオン島のアマチュアクラブ。不遇に疲れもはや引退しか選択肢は残されていない。彼の背中を後押ししたのがジャン・ルイ・デュポンだった。
彼らの標的はクラブではない。UEFAとベルギー協会に対しての損害賠償請求額のベルギーギルダーは忘れたが、日本円に換算するとおよそ 8000万円だったはず。契約満了後も選手を拘束するUEFAの制度は、EU域内における公正な競争と労働者の移動の自由を認めるEU統合の基本条約に違反しており、この制度が、フットボーラーとしての活動を妨げ結果金銭的な損害を与えた」と主張。

By | 2016-05-17T13:50:18+00:00 5月 17th, 2016|Categories: コラム, その他コラム|Tags: |0 Comments

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Y.Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 / Xイチ独身 自称サッカルチャー欧州特派員。プレス席申請の際に 媒体名は「soccerlture.com」と記入するようにしてます。

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