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欧州蹴球文化探訪 ベルギーの光と闇 第十二話 バスクとエーゲ海の壁

 そしてベルギーからもアンドレヒト、スタンダール・リエージュ、クラブ・ブルージュの御馴染紫青赤三強が揃い踏みとなった。現在FIFAランク一位のベルギー代表を語る上で、分水路となった二つの白星を振り返る。

 好カードが並ぶ決勝トーナメント一回戦。中でもユヴェントスとアヤックス、ハンブルガ―SVとPSV。今は無き国立でのトヨタカップに胸を躍らせた世代にはこの欧州王者として来日経験のあるクラブ対決はノスタルジーへといざなう。一回戦から出し惜しみなしの贅沢は、結果オランダ勢が全滅する厳しい現在の勢力図を痛感させられる破目に。
 クラブ・ブルージュがヴァレンシア相手に一回戦で敗退は順当過ぎる結果。スタンダール・リエージュはレッドブル・ザルツブルグとの対戦。第六の巻に記したとおり、コー・アドリアーンセから同胞のステフェンスへと指揮官が変わっていた。ラツィオを破ってのエントリーとはいえ当時のザルツブルグであれば、リエージュの勝利も番狂わせとはいえない。名の知れたプレーヤーはナイジェリア代表のアフォラビ程度か。

 衝撃を受けたのは《バスクの雄》アスレチック・ビルバオを圧倒したRSCアンデルレヒト。リーガ優勝回数8回、レアル、バルサ以外で一度も降格した記憶がない。フランコ政権時代圧政に耐え忍んだバスク人の誇りの象徴が赤と白の縦縞である。

Bilbao

 ボスマン判決以降次第に衰える純血主義のクラブに対して、頑なに守りとおしたフィロソフィを捨てるべきとの声もあがった。それでもディレクターのハビエル・イルレタは発掘と育成に尽力、地元ビスカヤだけでなくバスク地域全体各都市に公認の育成施設を設け、2007年には若手の育成手腕に長けたホアキン・カパロスを迎え入れることで、チームは輝きを取り戻した。前(08-09)シーズンのコパデルレイの決勝進出。あの“ペップ・グァルディオラ・バルサ”に敗れるが欧州への切符は手にした。このシーズンもリーガで好調。最終順位は8位でフィニッシュしている。

Lukaku

 ロメル・ルカクは5分の先制点、28分にはアシスト。後半2点を追加したアンデルレヒト。

 ラウンド16。3月18日にはPSVを退けたブンデスリーガのハンブルグ戦。初戦4-3で敗退もロメルは44分の同点ゴール66分には貴重なアシストで貢献。しかし75分にゴールを決められ無念の敗退となった。

 一方スタンダールリエージュ対パナシナイコス。

 当時のギリシャ・スーパーリーグはオリンピアコスがこの世の春を謳歌していた。ライバルに差をつけられサポーターの噴も限界に達するパナシナイコスは屈辱を晴らすべく戦力を充実させた。
 ゴールキーパーにポルトガル代表フェルナンデス。フィールドプレーヤーの半数は国旗と同じカラーを身にまといシーズン終了後南アフリカへと旅立った。大会前に各出版社から発売される参加国選手ガイドの顔写真にもパナシナイコス所属のキャプションが並んでいる。前年のチャンピオンズリーグではインテルをサンシーロで破ってのGS首位突破も記憶に新しい。

pana

 前(08)年7月、六シーズンを過ごしたロンドンを離れて新天地に臨むジウベルト・シウバ。アーセナルのセレソン、世界的なビックネームをアテネ市民は大歓迎したが初年度はリーグ三位に。ライバルの六連覇を許したが二年目は完全にチームを把握するピッチ上の指揮官。そして点を取るのはフランス代表シセとギリシャ代表サルビンギディス。シセは09-10シーズン終了時には23ゴールの記録している。