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継続と深化の湘南スタイル【前編】反町前監督、大倉社長の影響力

継続と深化の”湘南スタイル”
  遂にJ1でも開花の時を迎えるのか!?

 昨年のJ2リーグを全42試合31勝8分3敗、勝点は101という史上最速でのJ1昇格・J2優勝を成し遂げた湘南ベルマーレ。湘南は2009年にJ1昇格、2010年にJ2降格、2012年にJ1昇格、2013年にJ2降格、2014年にJ1昇格とここ6シーズンで5度の昇降格を経験しています。また、そのうちJ1昇格は2度あるのですが、どちらも残留争いもせずに1年でJ2へ降格してしまっています。

 しかし、2009年に反町康治前監督(現・松本山雅監督)が就任1年目にしてJ2リーグ3位によるJ1昇格を果たした年(まだJ1昇格プレーオフがなかったため自動昇格)からよく耳にする“湘南スタイル”なるサッカーへの評判は年々増して来ています。僕も昨年のJ2天王山となる湘南ベルマーレVS松本山雅というビッグマッチをBMWスタジアムで生観戦したので、そのサッカーの迫力に魅了された1人です。

 昨年はJ2から昇格1年目となったガンバ大阪がJ1リーグ・ナビスコカップ・天皇杯の3冠を達成しましたが、そのガンバも一昨年のJ2を制した時の勝点は87。3冠王者のガンバの成績を勝点で14も上回り、昨年のJ2を独走優勝したサッカーとはどんなモノなのか?ガンバや、2011年にも柏レイソルが昇格初年度のJ1リーグ優勝を果たしているため、湘南も今年のJ1で旋風を巻き起こすのか?はJリーグファンなら気になるところだと思います。

 では、まずその“湘南スタイル”とは何なのか?から簡単に紐解いて行きます。

メインスポンサー撤退からJ2で10年

 
 “湘南スタイル”という言葉は地元サポ―ターではない僕にはいつから存在していたかは言えませんが、MF中田英寿やFW呂比須ワグナーといった日本代表の主力選手が軸を担った“ベルマーレ平塚”時代はそんな言葉はなかったと思います。ただ、ベルマーレからは名良橋晃、岩本輝雄というゴール前まで攻め上がってフィニッシュに絡む超攻撃的両サイドバックを始め、独特の臭いを持つ選手が多かった印象を持っています。Jリーグ開幕時のオリジナル10ではないにも関わらずJリーグ創世記から日本代表への選手輩出も多く、まさに“湘南の暴れん坊”でした。

 そんなベルマーレのメインスポンサー(親会社)であるフジタが1999年に経営再建のために撤退。前年に日本代表の主軸になっていた中田英寿もイタリア1部リーグのペルージャに移籍しており、このメインスポンサー撤退によってさらに代表クラスの主力選手はあっという間に退団し、2000年にベルマーレ平塚から湘南ベルマーレへと名称を変更した時にはJ2へ降格していました。

 そしてそこから10シーズンもの間を湘南はJ2で過ごす事になったのです。

厳密な湘南スタイル構築は反町監督就任
 五輪惨敗からホッフェンハイム視察で得たヒント

 転機になったのは2009年。前年の北京五輪代表監督を務めていた反町康治監督の就任。現役時代はベルマーレの選手としてプレーしていたOBは、北京五輪で3戦全敗という惨敗以外の何物でもない結果に意気消沈していたそうです。そんな反町さんが北京五輪後に向かったのはドイツだったそうです。

 時は2008年の夏を過ぎた頃です。反町さんは指導者研修の視察のため、ドイツのジンスハイムに拠点を置くTSG1899ホッフェンハイムにいました。このシーズンからクラブ史上初の1部リーグを戦うチームです。今では現ガンバ大阪のFW宇佐美貴史も在籍したクラブとして有名ですが、当時は無名。しかし、図ったかのようにクラブ史上初のブンデスリーガ1部のピッチで“ホッフェンハイム大旋風”が巻き起こります。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のFWヴェダド・イビシェヴィッチが前半戦の17試合で18ゴールを挙げる驚異的な活躍もあって、なんとなんと史上初の1部リーグを首位で折り返したのです。そのイビシェヴィッチの大怪我もあり、最終的には7位で終わりましたが、反町さんはその前半の快進撃を現場で直に見ていたのです。

 そのホッフェンハイムが実戦していたのは、スピード抜群の3トップがガンガン仕掛ける高速カウンター。ボールを奪えばとにかく縦へ向かう意識の強いサッカーで、両ゴール前へ出入りの激しいサッカーが特徴でした。昨季のホッフェンハイムは1部昇格6年目を9位で終えたのですが、リーグ3位の72得点と70失点というのがクラブに根付くスタイルを象徴しています。

 また、クラブのポリシーとして「若くて将来有望で高額の移籍金を生み出す選手」の獲得を試みており、当時の3トップはチェルシーにも在籍したデンバ・バ(現・べジクタシュ)、オナジ(現・シャルケ)、イビシェヴィッチ(現・シュツットガルト)という今では考えられないビッグネームばかり。ちなみに、昨年は湘南で38試合の出場で20ゴールを記録したFWウェリントンも当時のホッフェンハイムに在籍していた選手です。

 そのホッフェンハイム視察から帰国後に湘南の監督に就任した反町さんは、就任1年目からその縦への意識をチームに追求。チーム編成も大卒選手を軸に構成し、スピードを武器とする選手を重用。結果として“湘南の暴れん坊復活”を目標にした就任1年目は11年ぶりのJ1昇格となる3位。暴れん坊ぶりは84得点52失点という出入りの激しいサッカーにも現れ、いつしかそれが“湘南スタイル”と他地域でも呼ばれるようになっていました。

 しかし、メインスポンサー徹底から経営規模に限界があるのをクラブ全体が理解していた2010のJ1リーグでの戦いは当然ながら戦力補強もままならず。反町監督が「湘南の”そよ風”くらいは吹かせたい」との言葉も虚しく響く断トツの最下位で1年でのJ2降格で終えてしまいました。

 翌年のJ2でも中位に終わり、反町監督は退任しますが、僕が観戦した2014年9月6日のJ2リーグ第30節、湘南VS松本によるJ2天王山でも、反町監督は相手チームの指揮官としてBMWスタジアムのホームサポーターからは拍手で迎えられていました。共にリーグ戦で3位以下に大差をつけて来季はJ1で戦うなど未だに縁は深いのでしょうね。

By | 2017-04-21T21:52:15+00:00 1月 15th, 2015|Categories: J2リーグコラム, コラム|Tags: |1 Comment

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hirobrown
創設当初からのJリ−グファンで各種媒体に寄稿する副業サッカーライター。好きなクラブはアーセナル。宇佐美貴史やエジル、杉田亜未など絶滅危惧種となったファンタジスタを愛する。趣味の音楽は演奏も好きだが、CD500枚ほど所持するコレクターでもある。 サッカー歴:中学・高校時代にサッカー部に所属。 中学時は大阪市トレセンに選出される。 その後は競技者としてのサッカーから離れていたが、サッカー観戦は欠かさない 。

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