テキストテキストテキスト

テキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキスト

リオ五輪OA枠内定の広島DF塩谷司〜Jリーグ最”攻”のDFが世界へ挑む!

 リオ五輪OA枠内定の広島DF塩谷司~Jリーグ最“攻”のDFが世界へ挑む!

 6月14日、日本サッカー協会は23歳以下で戦う男子サッカーのリオディジャネイロ五輪代表チームに、23歳以上の選手を3選手まで使えるオーバーエイジ枠の使用を正式に明言した。

 その上で、サンフレッチェ広島の塩谷司とガンバ大阪の藤春廣輝という共に27歳の日本代表経験もあるDF陣の選出を発表した。

 U23日本代表は今年1月に行われたリオ五輪アジア最終予選後、DF登録の選手が軒並み負傷離脱。特にサイドバック陣は最終予選登録の全4選手が負傷離脱する時期もあった。

 強固なセンターバック陣からも、不動のメンバーと思われた奈良竜樹が左脛骨骨折でリオ五輪が絶望となる長期離脱に至った。

 そんな中、SBでは昨年に日本代表デビューを果たした左SB藤春が選出。守備の要となるべきCBにも、代表経験があり、右SBでもプレーできる塩谷が選出された。

 

大学時代の2つの転換点

 徳島県出身の塩谷は、高校までは地元の徳島商業高校でプレー。全国高校サッカー選手権での活躍から国士館大学のスポーツ推薦の特待生枠で進学した当時はMFだった。

 しかし、国士館大学では定位置を奪えず。さらに追い打ちをかけたのが、前兆もなく起きた悲劇だった。大学3年の夏、塩谷の父が、くも膜下出血で急死してしまったのだ。

 国士舘大学でプロ選手への夢を諦めかけていた塩谷は、地元の徳島へ戻って就職し、家族を養う事を決意したが、サッカー部の監督や教職員の方々からはもちろん、母からも「何とかする」と周囲が説得して思い留まる事になった。

 この瞬間、プロを目指すのではなく、「プロにならなれけばいけない」、と覚悟を決めた塩谷。そんな彼には直後に転機となる出会いが訪れる。

 大学4年生になった2010年、「ドーハの悲劇」時の元日本代表主将としても知られた柱谷哲二氏(現J3・ガイナーレ鳥取監督)が国士館大学のコーチに就任したのだ。

 プロになる覚悟を持った塩谷は、いきなり柱谷氏に、「プロになるための指導をお願いします」、と直訴した。

 覚悟と運命、出会いを経験した塩谷は、柱谷氏の提案でCBにコンバートされ、一気に飛躍した。 

恩師・柱谷と共闘した水戸での飛躍、苦しんだ広島での半年間

About the Author:

hirobrown
創設当初からのJリ−グファンで各種媒体に寄稿する副業サッカーライター。好きなクラブはアーセナル。宇佐美貴史やエジル、杉田亜未など絶滅危惧種となったファンタジスタを愛する。趣味の音楽は演奏も好きだが、CD500枚ほど所持するコレクターでもある。 サッカー歴:中学・高校時代にサッカー部に所属。 中学時は大阪市トレセンに選出される。 その後は競技者としてのサッカーから離れていたが、サッカー観戦は欠かさない 。

Leave A Comment