テキストテキストテキスト

テキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキスト

ぷら~り 欧州蹴球場百景【14】スタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ

2017年最後の欧州巡回。まずは駅売店で手に取ったガゼッタ・デ・スポルト。

11月28日の日付に苦い記憶が蘇る。一面にはACミランの新監督にジェンナーロ・ガットゥーゾ就任が正式に発表された記事。年が明けてからは22節ラツィオ戦勝利を含めここまで無敗と復調の兆し。但し昨季ピサを三部に降格させた人物の手腕に大きな期待を寄せるのも如何なものかと。

写真は2008年開業したトリノ・ポルタ・スーザ駅。

◆◆◆◆◆

リヨンからTGVで到着。この近代的な駅舎からトラムの10番線に乗って南方向へ十数分(7区間)。ポルタ・ヌォーバからもほぼ同じ距離。アクセス快適なスタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ。

◆◆◆◆◆

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世。サヴォイア家当主が統一したイタリア王国の首都は当初トリノにあった。僅か四年の間ではあるが。トリノは当時からチョコレート、その後自動車産業、フットボールで名を馳せる。19世紀産業革命は、チョコレートの製造技術も格段に進歩させ、トリノにはマイアーニをはじめ周辺国からチョコレート職人が集まる。カファレル社を創業するピエール・ポール・カファレルの『カファレル』、『ヴェンキ(VENCHI)』と現在も名の知れたチョコレート工房がこの時代に誕生する。

ななせさんが味わったのは吉祥寺のカファレル店で購入した一品。

フランスのルノー社創業より一年遅れて1899年、トリノでジョヴァンニ・アニェッリ他数人による出資で産声をあげたのがフィアット社。「トリノのイタリア自動車製造所」頭文字を取ってFIATと命名された。そのフィアットは新型車タイプ4を発売するにあたり、チョコレートのコンペティションを企画した。この話題づくりは奏功し、四層構造のチョコレートを発表した1911年以来、現在もマイアーニのショーケースにはフィアットロゴ入りのチョコレートが並んでいる。

フィアット社創業よりも二年程さかのぼる1897年。高等学校の学生によってユヴェントスは誕生していた。1905年に全国大会で優勝するもクラブは分裂。元会長のアルフレド・ディックがFCトリノを創立する。一方エドアルド・アニェッリがユヴェントスを買い取ったことでフィアット社との蜜月、そして両クラブが火花を散らすライバル関係が始まる。

◆◆◆◆◆

トリノでは強さの象徴が牛。街中を散策するといたる所で牛さんをモチーフにしたデザインと出くわす。また欧州屈指の美食の都でもある。ピエモンテ料理を詳しく紹介できるほどのグルメではないが、ファッソーネ牛の生肉をオリーブ油、塩、胡椒のみで味つけ、チーズを添えれば『Battuta=バットゥータ』が完成、これに優るものは無し。ピエモンテ地方はカステルマーニョチーズ発祥の地でもある。
美しいカメリエーラに赤ワインのボトルを開けてもらい、グラスに注がれたワインとのマリア―ジュは無双。ロベルト・バッジョとエンツォ・シーフォが同時にピッチに立つほど贅沢である。今や習慣となった食前酒=アペリティフも18世紀の後半からこの街で始まった食文化である。

◆◆◆◆◆

前述のとおりユヴェントスの後ろ盾は、フィアットクライスラーグループ。一方2013年からは日本の四輪二輪メーカー、スズキの現地法人がトリノFCの胸ロゴスポンサーに名乗りをあげる。

15-16シーズンは、ヨーロッパで販売された新型SUV「VITARA(ビターラ)」の名も。

再び2017年11月28日のガゼッタ・デ・スポルトの紙面。

◆◆◆◆◆

By | 2018-02-07T06:28:51+00:00 2月 6th, 2018|Categories: Soccerlture League, コラム, ひゃくぷら|0 Comments

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

Leave A Comment