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ぷら~り 欧州蹴球場百景【7】グルデンスポーレン・スタディオン/コルトレイク

 ななさせんがポテトでVサイン。フライドポテトは日本のファスト・フード店で気軽に注文しているがフリッツの本場ベルギーの各都市でも食した。
第一景、フランスのリールで食べたフリッツも美味かった気がする。気がするというのも、この日朝から慌ただしく口にしたのはカフェオレだけだったから。リール・フランダース駅から地下鉄で移動しスタジアムに到着。周りを散策するが飲食店らしきものが見当たらず。トゥルネー通り側(北側)にファスト・フード店Friterie Sensasの移動スタンドを発見し味わいながらフリッツの歴史を思い出す。16世紀スペイン・ハプスブルグ時代、南米からフランドルに持ち込まれたジャガイモを最初に揚げて食べたのは、17世紀ワロン人らしい。

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 リールのトゥルネー通りとは少々紛らわしい。トゥルネーはリールと国境を挟んで位置するワロン地域の都市。欧州連合(EU)の前身「ヨーロッパ経済共同体」の発足当時、フランスとベルギー、それにドイツ、イタリア、オランダ、ルクセンブルグが加わり僅か6カ国。EUが国境を超えての事業がやり易くなるように、地域協力グループに法人格を与える制度EGTCを設けている。

 初のEGTC誕生は2008年1月28日。ユーロメトロポール・リール・コルトレイク・トゥルネー(ELKT)とその名前はおそろしく長い。
ここでもメトロポールの6文字。英語ならばメトロポリス、日本語表記ならば大都市圏共同体。1968年にリールメトロポールが創設され現在85自治体で構成されている。リールメトロポールは90年代からベルギー側4つの自治体連合と連携しており、リール大都市圏を包括するフレームが構築されるための下地は整っていた。フランスのリール市、ベルギーのコルトレイク市とトゥルネー市が形成するトライアングル周辺には現在147の自治体に、人口約210万人が暮らしており、今やEU最大規模の越境大都市圏なのである。

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 前置きが長くなったが、リールから85キロ東に国境を越えたコルトレイクが第七景。

 2015年10月29日強豪アンデルレヒトを迎えてホームゲーム、プレス席最終列に腰を降ろす。コルトレイクで気になったのは最終ライン、右サイドのサミュエル ジゴ、中央2枚はブノワ・プランとルクセンブルグ代表のマクシム・シャノもナンシーの出身。4バックの三人がフランス人。負傷でベンチに退いたプランに代わり後半から出場したファビアン・ボワエ。中盤のエロアン・ロランも含めると登録されたメンバーの中で最も多いのが仏国籍だった。
写真はキックオフ前。白地に赤の十字がイングランド国旗にしか見えない。

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 ネーデルランド=オランダの南部フランドルは11世紀当時、イングランドから輸入した羊毛で繊細産業が発達するなど両国の関係は深い。現在のコルトレイクはリネン(亜麻)産業で知られる。14世紀初頭フランスの侵攻時、イングランドと同盟を結び対抗するも力及ばす。1300年、フランドルはフランスに併合された。しかしフランドルの都市同盟は圧政に対して武器を手に立ち上がる。1302年の7月11日、欧州戦史に名を残すコルトレイクでの「黄金の拍車の戦い」。フランス国王軍をフランドル庶民軍が撃退し独立を勝ち取る。騎士団=個の力を上回る相手に組織戦術とホームアドバンテージを活かした歴史的ジャイアントキリング。

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 11月14日、日本代表がベルギー代表と対戦したクラブ・ブルージュの本拠地名は「黄金の拍車の戦い」におけるフランドル庶民軍を指揮した英雄ヤン・ブレイデルに由来している。

 グルデンスポーレン・スタディオンを訪れてから丸二年。10月28日のKRCゲンク戦のスタッツを眺めた。FWは9番テディ・シュバリエ、43番とえらく重い背番号をつけたジェレミー・ペルベの名前が記されているではないか。ビジャレアル時代にはリーガで二桁得点。15-16シーズンにはジュピラープロで自身二度目の得点王に輝き、記憶に新しいところでは昨季UEFAヨーロッパリーグ、ペルベの2戦連続ゴールでトッテナム・ホットスパーを下した。クラブ・ブルージュに移籍した今シーズン、レンタルされてコルトレイクでプレーをしていたとは。このフランス人ツートップに加え、マルセイユ・ユース出身のラリー・アズニ、最終ラインにはリュカ・ルジョーと、顔ぶれは変わってもフランス人がベルギー人を上回っていたKVコルトレイク。

 1667年フランスが侵攻、フランドルの都市シャルルロワ、リールが包囲され、陥落したリールやコルトレイクなど12都市がフランスに奪われる。18世紀後半ナポレオン没落後、オランダがフランスから独立。ベルギーもフランスの影響下から分離させる目的で、オランダに併合されてしまう。しかし1830年ベルギーにおいてワロン人が決起。オランダから独立を宣言。政権鎮圧に動くオランダ軍、その際ベルギーを軍事支援したのはフランスだった。

By | 2017-12-21T22:03:32+00:00 12月 19th, 2017|Categories: Soccerlture League, コラム, その他コラム, ひゃくぷら|0 Comments

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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