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2016年6月10日,開催国フランスが初戦ルーマニアをスタッド・ド・フランス(サンドニ)で下し欧州蹴球の宴は幕を開けた。先日そのサンドニの貴賓席で元オランダ代のエースストライカー、パトリック・クライフェルトと遭遇する。

今夏からPSGのディレクターで就任しているが、2008年にスパイクを置いた最後の所属クラブがリールなのでフランスと縁がなかったわけでもない。

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2008年といえば前々大会のユーロ(スイス・オーストリア共同開催)イタリア、フランス、オランダの三つ巴=死の組に同居したのがルーマニアだった。
しかし幕を開けてみると初戦フランスとスコアレスドロー、第二戦で初戦オランダに敗れ崖っぷちアズーリともドロー。しかし第3節ルーマニアは消化試合でメンバーを落としたオランダに敗れ、イタリアがフランスに勝利。開幕時最下位から大逆転でグループリーグを突破した。
当時ルーマニアの不法移民による殺人事件の続発を理由に、移民住居区域を撤去し国外追放を政府とローマ市が強行。両国の関係が難しい状況での試合であったと記憶している。

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前巻で取り上げたアルテミオ・フランキ。相対する両クラブの背番号12は共にルーマニア代表。
東欧のラテン。同じラテン語を起源に持つルーマニア語とイタリア語は似ている。ルーマニアからの移民はみな長靴の半島へと足が向く。比率を考えるとセリエAのルーマニア人選手は少ないことになる。

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フィオレンティーナの守護神チプリアン・タタルシャヌはユーロにもフル出場。最終ラインと一列前も含め強固なブロックを形成して一定の評価を得た。
しかしこの日は痛恨のファンブルで先制点を許す。その後も試合はフィオレンティーナがボールを支配して見せ場はなし。

一方PKでの2得点のみと沈黙したルーマニア代表攻撃陣。選出されなかったエイドリアン・ストイアンもその不甲斐なさには内心腹を立てていたかもしれない。

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母国のゲオルゲ・ポぺスク・アカデミーで学びU17代表に。2008年にASローマのスカウトの目に止まり、翌年3月のユヴェントス戦でトップデビューを果たす。その後もぺスカーラ、パーリ、キエーボ・ヴェローナと伊国で揉まれてきた25歳のウィンガーは10月30日古巣キエーボ戦スタメン出場するも前半無念の負傷退場。それでもクラブ史に残るセリエA初白星を飾り、現在は治療に専念、復帰を目指す。

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ルーマニア移民の男性は左官や大工等建設業に従事、女性は家政婦として働くケースが多いらしい。フィレンツェ郊外に住む彫刻家のフランチェスコ曰く「イタリアの歴史や芸術を知らないルーマニア人が歴史的な建築物の復旧にかかわるなんてどうかしている!」
顔立ちはトルコ系やスラブ系の色濃くても「ローマ人の国」を名乗るRomânia。
翌日ローマに向かう列車の中で彼の言葉にあらためて両国民の微妙な感情に思いを馳せた。