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長靴の国で観た異邦人 十四の巻 【稲妻閃くフィレンツェの夜】

10月のイタリア訪問は格安航空会社ライアンエアでハンガリーの首都ブダペストを離陸、ピサから入国した。リニューアルされたMTKブダペストの本拠地ヒデグチ・ナンドール・シュタディオンではフォトグラファーベストを借りて芝を踏んでみた。この日ブダペストにはブラティスラバからバスで移動したが、バスターミナルで三時間近く待たされた事もまた一興となる。

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ブダペストから西側60キロ。一時間も移動にかからないセーケシュフェヘールヴァール市のクラブチームがヴィデオトンFC。
筆者が初めてネムゼティ・バイノクシャーグ一部を観たのは2011-12シーズンの最終節。MTKブダペストとデヴレツェン。ハンガリーのフットボール事情に疎く現地入りしてから、前季覇者、連覇を逃した(2位)とはいえカップ戦を制したヴィデオトンの指揮官があのパウロ・ソウザであることを知る。

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翌12-13シーズンはUEFAヨーロッパリーグの予選2回戦でスロバン・ブラティスラバと対戦。隣国対決を制した勢いでベルギー、トルコの強豪を撃破し本選出場を果たす。グループGでは母国のスポルティング、ベルギーのゲンク、そしてスイスのバーゼルと同組に。三位で無念の敗退となるがイスラエルを経て、2014-15シーズンからはバーゼルを率いた。同クラブに柿谷が移籍して日本のメディアにパウロの名前が露出する機会も増えた。UEFAチャンピオンズリーグベスト16の快挙は記憶に新しい。欧州各国で経験を重ねたパウロは現役時代三クラブ(ユヴェントス、インテル、パルマ)でプレーした懐かしのイタリアへと戻ったのは昨シーズン。

上写真は10月2日スタディオ・アルテミオ・フランキでの記者会見
1990年イタリアワールドカップで使用の際拡張された元UEFA会長の名を冠するスタジアムはメインスタンド以外に屋根がない。いまどき珍しいなどと思っていたところ、この日はキックオフ直前から雷雨に見舞われる。

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悪天候にリズムとペースを崩され最下位クロトーネとドロー。パウロのコメントも歯切れが悪い気もするがイタリア語なので理解できない。パウロ・ソウザのフットボールはポルトガル人らしく少ないタッチで短いパスを繋ぐポゼッション重視。劣悪なピッチコンディションでは格下に足元を掬われても仕方なかった。それにしても豪雨が一時プール状態になりなから30分程度の中断で試合が再開できたのだから優れた透水性には讃歎させられる。

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はじめてアルテミオ・フランキに訪れたのが2007年だったことを証明する一枚。今夏イタリアを旅した高1の息子が当時は小学校二年生。その息子隆太とエンポリでの観戦。
2005年から11年プレーした“ヴィオラの顔“マヌエル・パスクアルがフィレンツェから目と鼻の先にあるエンポリへ移籍していた。
創立90周年を迎えたフィオレンティーナの歴史において300試合以上出場した選手は彼を含め四人しかいない。

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この連載はイタリアでプレーする外国人にスポットを当ててきたがその偉業と称え唯一の例外として写真を掲載してみた。ちなみにフィオレンティーナの二枚看板ガブリエル・バティストゥータ(アルゼンチン)は269試合 ルイ・コスタ(ポルトガル)239試合。
次回では監督に引き続きジョカトーレからヴィオラの異邦人を取り上げる。

About the Author:

Yoshitaka Yokozawa
1964年生 / 東京都在住 NPO・NGOの経験を活かしてサッカルチャー・チャアマンをしてます。 本業は国際交流コンサルタント。文化催事の企画運営や講演など欧州と国内をころげまわってます。 サッカルチャーコラム連載では欧州蹴球文化探訪(全41回) 同ベルギーの光と闇(全27回)※最終話そのうちUPします。 長靴の国で観た異邦人たち(全21話) サッカルチャー・ホームタウン秘書室(2017年~ 同 日本人が知らないアーセナル 全8回含)他。 サッカルチャーやっててよかったのはバルセロナで故ヨハン・クライフに逢えたこと。世界各国の”秘書たち”とビールを飲むのもささやかな楽しみ。

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