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タイトル獲得失敗のガンバ大阪に必要な「ブーツ・ルーム」の伝統と意識

タイトルを逃したガンバ大阪~かつて”超攻撃”を掲げたチームの現状

 先週末、Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝が行われ、鹿島アントラーズがガンバ大阪を相手に3-0と完勝。3年ぶり6度目の優勝を決め、同大会史上最多の優勝回数となりました。

 前回王者であり、昨季は国内タイトル3冠(J1リーグ、ナビスコカップ、天皇杯)王者のガンバ大阪はキックオフから鹿島の積極果敢な連動したプレッシングと縦への速い攻撃に押し込まれ、24本のシュートを浴びて0-3という結果以上にゲーム内容で完敗。これにより、ガンバ大阪は中国スーパーリーグの広州恒大と対戦したAFCアジアチャンピオンズリーグ準決勝敗退に続いてタイトル獲得を逃しました。

 8月11日のスルガ銀行チャンピオンシップのリーヴェル・プレート(アルゼンチン)戦の0-3、10月21日のACL準決勝第2レグ・広州恒大(中国)戦の0-0、10月31日のナビスコカップ決勝・鹿島戦の0-3と、全て無得点に終わってのタイトル滅。西野朗監督時代に“超攻撃”で鳴らしたチームにとっての現在の課題が皮肉にも攻撃面にある事が露呈されました。コレは長谷川健太監督が就任した2013年以降、J2時代にも見られた兆候でもあります。

 しかし、現在の長谷川健太監督が就任してからのガンバ大阪は守備の約束事が最優先されるチームになっており、その約束事がなかった西野監督時代を2012年のJ2降格の理由に挙げる暴論をかざす番記者もいるほどで、それは非常に残念な事です。

 

リヴァプールに根付く”ブーツ・ルーム”~歴史と伝統、礎を大切に継承する文化

 イングランドの強豪である名門リヴァプールFCの監督人事を表現する言葉には“ブーツ・ルーム”という言葉があり、これは歴代の監督のコーチを務める人物が次期監督に昇格してクラブの伝統を継承していく事を指しています。始まりは1959年に監督に就任したビル・シャンクリーの時代から始まり、彼のコーチだったボブ・ペイズリーとジョー・フェイガンがその後の監督を務め、さらに次の監督としては看板選手のケニー・ダルグリーシュが選手兼任で就任して引き継ぎました。(下記表を参照)

 

(リヴァプールの”ブーツ・ルーム”継承監督成績表)

 これを見ても1960年代から1980年まで長く続いた黄金時代を築いた要因は“ブーツ・ルーム”の継承と言えるでしょう。また、リヴァプールの監督として最多のタイトルを獲得したのは9年間で13個もの主要タイトルを獲得したボブ・ペイズリーですが、その礎を作ったのは前任のビル・シャンクリー。サポーターの間では、その15年間の長期政権を築いたシャンクリーが「クラブ史上最高の監督」と称えられているのも“ブーツ・ルーム”という言葉が根付くクラブならではの文化と言えるでしょう。

 ガンバ大阪にとっても、西野監督が「クラブ史上最高の監督」である、と筆者は考えております。